早池峰嶽流石鳩岡神楽「三番叟」@2020駒形神社
さて本日は、2020年10月11日に駒形神社にて行われた早池峰嶽流石鳩岡神楽の三番叟です。
ということで、三番叟
雲張りには扇と鈴木
幕出しは
〽 エンヤーハー 葦が野に 葦が野に 日は照とも常に絶えせぬ鳴る滝の水
舞い出たのは蛭子の命
三番叟は伊弉冉尊・伊弉諾尊ニ神の子で生まれついての障碍があったことを表現していると言われていますが、菅原盛一郎著「日本之芸能早池峰流山伏神楽」の中で面白い解釈をしているので転載します。
「この舞は、蛭子の命の教へる、人間の一生代、生涯に起る喜怒哀楽、起伏艱難辛苦の様相を舞振ったもので、式舞三番目に舞出す舞である。称して三番叟の舞と云う。
蛭子の命は、伊邪那岐、伊邪那美の命の御子である。しかるにこの御子は三才になっても、骨軟くして歩む事も、声立つること
も困難であった。そこで、二柱の神々は哀れみ、この御子を葦船に乗せて大海原に流されたのである。
しかし、命は、地祇の助けを得て、魚貝海草の類を饗されて成長し、心は清く優しく、身は剛く健やかに雄々しく成らせ給い、 後には、 農耕の業を知り、 漁猟の道に長じ、金銀財宝に恵まれたと云う。
これを、現代風に解説すれば、命は所謂早生児であって、その発育不良は、佝僂病に罹ったからである。従って三歳になっても起立不能であり、声もたたず話も出来なかったのである。
そこで、神々は、この内陸の地では癒らないと考へ、海辺に流し、漁民の手をかり、ピタミンDの豊富な魚貝海草の類を饗せら
れたから当然今日の云う、食餌療法となって佝僂病も治ったのである。
この筋書を如何にこの一舞に振付けたか。
まず、幕出しは尻から舞出る。これは所謂正常分娩でない、早期分娩を意味する。そして、扇を以って顔を覆い円舞する。幼児一
の視力の無きこと、東西の方位の知らぬととなのである。
面相の顎の離れていることは、佝僂病の骨の発育不良、言葉の不自由に対する表現なのである。
一本足で踊る姿は孤立難行辛苦の形相なのである。
面相の黒きは、地神となって農耕に励む土の色相なのである。
最後に上体を仰向けに曲げる態は、健康快復、身心異状なき態である。
そして、手招ぎする所作は、所謂招福の形である。」
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