岩崎鬼剣舞「三番庭の狂い」@2020鬼の館芸能公演
さて本日は、2020年8月14日に開催された鬼の館芸能公演から岩崎鬼剣舞で三番庭の狂いです。
踊りの内容は、振り込みや早念仏、せんや念仏はなく、4人ないし2人1組の組踊のような形で進む。
扇の舞と素手の舞があり、軽快に跳躍する所作が続き、明るく華やかな印象を受ける。
扇を閉じて金剛杖と一緒に握って振りながら踊る所作や左足で跳ねる所作は他の芸能(田植踊り、念仏剣舞)との共通性が見いだせたりして興味深い。
ところで、鬼剣舞の由来について当日のパンフレットにありましたので掲載します。
「鬼剣舞は、由来伝承では今から千三百八十余年前に始まるとされています。
岩崎鬼剣舞の享保17年(1732)などの剣舞由来録によりますと、大宝年間(701~ 704)修験山伏の祖・役の行者小角が、行者念仏の大功徳で病疫難・剣難を除き、天下泰平・五穀豊穣・万民如意繁栄をもたらすことを願って、大和国の吉野川上流で水垢離をとり、大峰山上で苦行し、その万願の七夕の夕暮れに踊った「念仏踊り」に始まるといいます。
また、大同年間(806~810)には出羽国羽黒山で舞われ、その修験山伏によつて広められ、康平年間(1058~ 106o)には安倍貞任・正任がこの踊りを好んで領内に推奨したそうです。その後、延文5年(1360)には岩崎城主岩崎弥十郎が主君の和賀政義を招き、城内で剣舞を踊らせたところ、政義は大いに喜び、家紋の一つ「笹リンドウ」(和賀氏は源氏)の使用を許可したといいます。
秘伝書にはこのように記されていますが、中世の「念仏踊り」を基本としながら、近世初頭から中期にかけて、現行に近い芸態ができあがっていったものと思われます。現在、北上和賀地方には岩崎鬼剣舞を始祖とし、岩崎系と滑田系の13の踊り組が伝承されています。」ということです。
動画でどうぞ
