社風長京神楽「八幡舞」@2020江刺民俗芸能フェスティバル
さて本日からは、11月29日に行われました、江刺民俗芸能フェスティバルのリポートとなります。
トップバッターは社風長京神楽で八幡舞です。
社風長京神楽は奥州市江刺の中でも花巻市東和町との境に位置する八坂神社に奉ずる神楽で、神楽幕を見ると昭和52年当時に幕寄進した地元有力者の名前が染め抜いてあります
社風長京神楽の由来は「胆江地方の神楽」誌より抜粋すると
長京神楽は社風(みやぶり)神楽と称し、長京神楽真伝書(巻物)によると
「安政三年正月吉日(一八五六)東和町谷内村丹内山兼両管物部寅氏より伝授されたものである。
社風神楽と申すは天岩屋戸前にて八意思兼命の御意以って、八百萬神を集い、種々の事をなし天宇受売命手神を以って、神がかりして舞給うぞ始まり成り。天照大御神もその舞振の雅なるをあやしと思ほして、少し岩戸明けて見そなはし給ふ時天手力男命、御手を取って引出し奉りき斯りし程、芽出度き楽にあれば槻不浄をいましめ清浄たるを以って舞ふくし且つ当流を社風神楽と申す。」
とあります。要するに岳流神楽をひく丹内神社社風神楽から伝授されたので社家神楽としての伝承をしているとのこと。
幕だし歌は 〽 さらさらと天降ります八幡神 和合の利益いや増しにける
長京神楽の存する梁川と、丹内神社の鎮座する東和町谷内とは峠一つ隔てて隣り合っている。
丹内山神社神楽が岳神楽より直伝されたのが宝暦9年(1759)である。
そして安政3年に丹内山大権現社の神楽から野手崎村(現梁川)長京の羽黒派修験金嶺山常宝院別当方全に伝授されたということであえうが、これには別説があり、亨保元年(1716)というものであるが定かでない。
現在の舞ぶりが丹内より伝授された当時のものかはわかりませんが、明治の神仏分離に際して、当時の別当小原実風が神楽人を再教育し、丹内神楽の言詞を古事記によって改めとありますので、社家神楽になったのは明治以降と思われます。
と、そんな由来は置いといて、今の長京神楽は当日庭元が言っていたように伝承者の高齢化がすすみ思うように神楽が演じられなかったが、隣村の東和町丹内の消防団員たちが自分たちの祖先が修していた丹内神楽を復活させようという意気込みで長京に教えを乞うたことから始まるこの所以が素晴らしいです。
元をただせば同じ系統の修験者が行き来していたはずの両村の神楽を復興させようとした取り組みに拍手です!
動画でどうぞ
