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2020.11.21 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

夏山神楽「荒舞」@2020東山神楽発表会

さて本日は、東山神楽発表会から夏山神楽で荒舞です。

由来については「東山町神楽保存会創立10周年記念誌」より

「大正10年、竹沢神楽の千葉勇之進の弟子高橋寅之助が竹沢から横沢に分家した。
分家後、夏山横沢の佐藤林兵衛が庭元になり、小野寺喜代治、千葉吉蔵、佐藤長治右衛門、横沢鉄郎の協力を得て夏山神楽を組織した。
初代の舞手は佐藤博、小野寺栄三郎、佐藤正木などが中心になって盛んになったということです。
その後、代々引き継がれてきた。夏山神楽は現存する田河津唯一の神楽組である。」

ということです。

夏山神楽では式舞を御神楽と岩戸開きとしている。
その後に劇神楽を行うとし、一の谷や田村二代、信太の森、安宅の関、羽衣等としている。

舞手は佐藤鉄也さんです。(昭和50年神楽師として記載されています)
当日は自らが太鼓を打った録音テープでの一人舞です。
サンヤ面を付けて激しく舞うさまは正に荒舞です。



夏山神楽の往時を表すエピソードが前出資料に掲載されていましたので、抜粋して紹介します。

「(夏山神楽を)創設した当時は、何んの娯楽もない時代であったから神楽は春秋の祭の節になれば、今の大東方面まで出演を頼まれ、乗物のない時代で各自道具を背にして、徒歩で行ききをしたものであつた。
何んと言っても、一番の荷物は大鼓であつた。当時の神楽人は今の俳優格で、何所でも優遇された。特に女形の人は女性達に仕
度の手伝ってもらうので、羨ましがられたものだった。今の様な立派な舞台でなく、家や神社の軒下に舞台を作リガタリガタリと足音をたてて踊った。舞台を囲んだ老若男女から、良いの悪いのと野次が飛び、其れが又はげましとなり本気になって、踊ったものであつた。
神楽が終れば、手伝いで来ている全員で、飲めや唄えの賑いとなり、暇を告げる頃は十二時すぎ、背の荷物は、来る時の倍位重
い感じで、道端の木の根や石に腰をかけ、草原に横になったり、声かけ合って家に着く頃には、夜も明け方だった。こんな事は二
度とやるまいと思いながら、頼まれる日を楽しみにすると言う、実に変な心境であったとつたえられている。」

大正から昭和の時代にかけて、最も人気を博した劇神楽が、どれほどの歓待ぶりであったかがよくわかります。

IMG_358220201114102754.jpg

動画でどうぞ



テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2020.11.21 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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