三本柳さんさ踊り@2020六神石神社秋季例大祭
さて本日は、六神石神社秋季例大祭から三本柳さんさ踊りです。
例年ですと、地元の獅子踊りや釜石の虎舞なども奉納され、露天も賑やかに出される盛大な祭典ですが、今年は規模縮小しての開催でした。
そういった中ですが、既に常連となった盛岡の三本柳さんさが奉納に来てくれたということです。
三本柳さんさ踊り保存会さんの由来について
「さんさ踊りは、江戸時代初期の盛岡城下形成の頃から、盛岡市とその周辺で踊られてきました。
文化文政(1804~1830年)の頃、時の盛岡藩十一代藩主南部利敬公の奨励により踊りの基本が改良され、さらに獅子踊りな
ど他の芸能の一部を流用して崩しを新作し、さんさに倣って三十三の踊りに仕上げ、これを見前の三本柳部落に「永久に保
存せよ」と一巻の巻物を授けたと伝えられています。
主に盆の先祖供養に踊り、「踊り連中」一団によつて家回り等を行い伝承してきました。江戸時代から近郷近在に指導してきた歴史があり、さんさ踊りのルーツと云われています。
衣装は蓮華の花をつけた妻折笠、三本の柳を染め抜いた浴衣、廻し、五色の帯、手甲、脚絆、草戦履きの巡礼姿と云われています。踊りは、古体に近いと云われる手(腕)の上下の振りとナンバに踊るのが特徴です。
明治以降の踊り連中の名簿と写真が残つています。現在の組織は、昭和42年に20年振りに復活し現在に至っています。
昭和51年盛岡市指定、平成23年岩手県指定無形民俗文化財。」
とあります。
現在の盛岡のさんさ踊りといえば8月初旬のさんさパレードを中心としたイベントが主要な行事となりましたが、元々は各踊り組の地元の盂蘭盆行事で、家々の先祖供養に踊り歩いたのが本来の姿です。
三本柳さんさは、藩政時代から踊り継がれていますが、そもそもさんさ踊り自体が念仏供養と田楽が融合したような芸態ですので、今見るさんさ踊りとは峻別してみなければなりません。
これは同じ盛岡市南部の黒川さんさ踊りと同様に「伝統さんさ」の草分け的存在であるから故かもしれません。
「ナンバ踊り」と称して、右手と右足を同時に前方に出す所作が特長としていますが、これは江戸期以前の日本人普遍の徒歩形態で、庶民の日常感覚を今に残す良例かといえます。
今年の盛岡さんさ踊りもコロナ禍の影響で中止となりました。
本来であれば、疫病退散祈願や、コロナ感染でお亡くなりになった人々の鎮魂の踊りをしたいところだと思いますが、厄介な感染症なのでそれも叶わず。
とはいえ、踊り継がれていることは確かなことなので、来年こそは盛大なさんさが開催され、また盆の門付け供養もできることを記念します。
動画でどうぞ
