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2020.09.12 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

栗原神楽「御山掛け」@2020久須志神社秋季例祭

さて本日は、久須志神社秋季例祭から栗原神楽で御山掛けです。

その前に、栗原神楽さんの由来については定本より

「明治一二年三月三一日、栗原悦之助が神道事務局に神楽の届出し承認を得た文書がある。
岩手県萩荘村市野々の自鏡山山伏神楽の指導を得たといわれている。
大正時代に復活、中断した。昭和五年、栗原の佐藤正吉が指導し再興する。その弟子代表の佐藤左吉に引継がれ現在に至っている。初代庭元栗原悦之助が中断後を再興した。」とあります。

現在の代表者は佐藤敬さんです。

ということで、ここ栗原の久須志神社は栗原神楽の地元でもあります。

因みに、この久須志神社の隣には栗原寺があります。久須志神社=薬師如来=修験という関係からみると、ここに神楽がある必然性が感じられます。



さて、御山掛けについてです。
御山掛けというと、山岳抖擻する山伏の姿が想起されます。

従来、南部神楽は明治以降に庶民の娯楽芸能jとして興ったとされていましたが、丹念に調べるとそればかりではない機能性をもった宗教芸能の側面も見いだされます。
その一つの証左がこの「御山掛け」です。

この日御山掛けをした栗原神楽は、芝居神楽と称するほど仕組み神楽を演ずることを得意としている団体ですが、近郷近在の神社祭礼には神楽をあげることを頼まれるということです。
この日の奉納が終わったあとに栗原神楽の皆さんに聞いたところ、こういった御山掛けは、かつては南は岩出山町から北は岩手県陸前高田市まで歩いたということ。
そして、秋祭りシーズンになると1週間ぶっ続けに廻ったなどという話も聞きました。
このことは、宮城県内において、法印神楽や十二座神楽などのエリア以外で神楽を必要とした神社祭礼に南部神楽が招かれたことを証明している。
つまり、南部神楽は修験廃止以降の明治期に農民が始めた娯楽芸能というレッテルが貼られていますがさにあらず。

神社祭礼にとっては、いづれかの手法によらず「御神楽」は必ず行わなければならないものです。
そこへ地元の南部神楽が必要とされ、それに沿う形で工夫されたのがこの「御山掛け」だと推量します。

この日の祭式でも神楽の占める位置づけは重要で、しかも舞手が唱える言い事にも所願成就を祈る言葉が込められていました。


20200908_102407602.jpg

御山掛けにはいくつかのパターンがあります。

翁舞=天児屋根命、若人舞=月読命、姫舞=天照大神、荒舞=素戔嗚命

これらの上演の違いはその日にその場に居合わせた神楽師が対応できる神様を選ぶということです。

この御神楽を神社であげるのを御山掛けというのは、謎も多いのですが、詞章の終わりに「山を降りつなり」とあることから、山上にある御堂から下に降りるということを表しているということです。

神社祭礼に奉納する神楽を山上の堂宇で行うのは岩手県でも通例ですが、それは通常「あげ神楽」などと呼ばれている。

いずれ「御山掛け」という呼称は、神楽を伝えた修験者の伝統をつないでいるような気がします。

20200908_102607783.jpg

動画でどうぞ

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2020.09.12 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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