笹谷流三ヶ尻神楽「御神楽」@2020三ヶ尻日吉神社例祭
さて本日からは、9月19日に行われた金ケ崎町三ヶ尻鎮座の日吉神社例祭のリポートとなります。
この三ヶ尻日吉神社の由緒については「岩手県神社検索」より
「坂上田村麻呂が東征の折、大山咋命に戦勝を祈り、霊験あらたかなるをもって当地甕知に祀る。時に延暦年間と伝えられる。
後冷泉帝の御代、源頼義が安倍貞任との戦いに祈願し奇験を得たるに依り当社に詣で甕知の地を寄附す。後鳥羽帝文治年間(1185-1190)源義経当社の修理を行わしむ。
天正年間(1573-1592)三ヶ尻信重当地「丸子館」に舘し、地名を三ヶ尻と改めて領す。又社殿の改築を行う。大正十四年(1925)村社に列す。」とあります。
三ヶ尻は人名だったんですね。
神事の後に神賑が境内で行われましたので、最初に笹谷流三ヶ尻神楽から紹介します。
三ヶ尻神楽の由来は金ケ崎町史より
「明治38年川口田の後藤房松が地域の青少年が惡い遊びに入らないよう、将来のために善良な風俗を育成するには健全な娯楽が必要と考え、胆沢の前谷地神楽の米倉純治を師匠に迎えて神楽団を創始したことに始まる。
その後、太平洋戦争時に中断したが、昭和45年に小学生に伝授して今日に至る。
しかしながら、その後は後継者を育成することに重点がおかれ、継承をどのように行えばよいのかということが喫緊の課題となっている。」
とあります。
現在上演できる演目は御神楽のみとなっているが、本来は式舞7番、狂言神楽14番を保持していたという。(金ヶ崎の文化財Ⅱ)
三ヶ尻神楽さんは前谷地神楽からの伝授ということで笹谷流としていますが、御神楽に関してはむしろ胆沢神楽の影響が見て取れますので、様々な変遷があったことが推量されます。
三ヶ尻神楽では平成元年から地元の三ヶ尻小学校の運動会において4~6年生に御神楽を指導してきたということです。
この子たちの中から継承者が育つことを願ってやみません。
動画でどうぞ
