下藤根さんさ踊り@2020藤根疫病終息祈願祭
さて本日は、藤根疫病終息祈願祭から下藤根さんさ踊りです。
北上市の旧江釣子村内にはさんさ踊り四団体あるが、本来は江釣子の曹洞宗全明寺から発した全明寺盆踊の系統で、他の周辺盆踊り団体もこれと同じということです。
そのため、下藤根さんさ踊の由来は全明寺盆踊と同様の筋をたどります。
以下は「北上民族芸能総覧」より
「約400年前、江釣子地区を所領していた新渡戸氏に仕えた諸役の人たちや作男たちから村人が教えを受けたという。
奥寺堰の恩恵を受けた横川目、藤根、笹間、飯豊、江釣子の五ヶ村の農民は皆この盆踊を踊ったと伝える。
沢田定三著「岩手の郷土芸能」には江釣子滑田の下瀬川松兵衛の話として「もともとこの盆踊は、300年前新渡戸家に仕えた諸役の人たちや作男たちから村人が教えを受けたものである。春田打と共にある田植唄もまたこの盆踊も、ともに同じ系統をもつ純然たる郷土芸能で、古くから他の影響や援助を蒙ることなく、横川目、藤根、笹間、飯豊、江釣子の五ケ村、すなわち奥寺堰の恩恵を受けた水田を耕す農民でこの盆踊を踊らぬものはない。
このうち最も盛んなところは藤根村の中野部落である。」と書いている。この中野部落に伝承しているのが下藤根さんさ踊である。
この基本の踊りに大正初期、秋田県の小坂鉱山や湯田の鷲合森や土畑鉱山などに出稼ぎをした人達が、従来の踊りに加えて、その土地に伝承していた民謡を採り入れ、新しい演目として伝承してきたのである。
終戦後は青年会の盆行事として、会員全員が参加して地元商店街を軒並み門付けしたほか、煤孫の慶昌寺や江釣子の全明寺で盆供養として踊った。」ということです。
基本の踊演目「めでた節」は、江約子の「全明寺盆踊」と共通した演目である。中央にはシンドロ(心の灯範)と呼ぶ花で飾った灯龍風の作りものを立て、それを囲んで輪おどりする。ほかに列踊りになる場合は、二人の組踊りとなる。
踊手は浴衣に赤と青の二色の半巾帯をしめ後ろに垂れ下げる。手拭で類かぶりをし、編笠には中央に大きな花を一個、また笠の四方に四個の小さな和紙の花をつける。
四方に花をつけるのは、台笠の四門に擬しているのだろうか。
踊りのはじめの演目として「小板甚句」「ふり込み」が踊られる。続いて「ラッパ節(軍隊のときの唄)」「相撲甚句」「ねえちゃん節」「飴売り」「お山コ三里」と踊りが続く。 このほかに基本の踊として「めでた節」が三種目がある。この「めでた節」三種の踊りの唄は、同じであるが踊り方は異なる。このほかにご祝儀を頂いたとき「お花いただき」を、めでた節の歌詞で踊る。踊りの最後には、必ず「そそぎだし」の演目を踊る。
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