浜の七日盆にて浦浜念仏剣舞の初茶参り
さて本日は、8月7日に大船渡市三陸町越喜来にて行われた浦浜念仏剣舞の初茶参りです。
浦浜念仏剣舞の由来について
「発祥等は不詳だが、江戸時代中期またはその後に始まったものと推測されている。地元では「けんばい」ではなく「けんべぇ」といわれている。
念仏剣舞は「反閇(へんばい)の呪術的性格と浄土信仰とが結合したもの」といわれている。
浦浜剣舞は胴取り(太鼓)、笛、踊り手と構成される。
踊り手は八人構成を基本とし、全員仮面をつけ、踊りの中心ささらは赤地の三番叟、主剣舞から四剣舞の五人は毛ザイ男山と女山は鳥兜をかぶる。
衣装の両袖を脱ぎ背中に付け、両肩を赤い縁取りで高く盛り上げていることから、「脱ぎ垂れ剣舞」または「肩怒り剣舞」の異称をもつ独特のスタイル。
踊りの演目は七つ、念仏踊・一本扇子・二本扇子・綾踊・十五・長刀・高館(タカダチ)が伝えられている。
毎年8月5日に地元「円満寺」の施餓鬼法要を踊り初めとし、7日には初茶者(新盆)供養、先祖供養で地区内の家々を訪ね縁側に出された位牌を前にし踊る。」
ということです。
さて初茶参りとは、盂蘭盆に先だつ八月七日に行われるもので、七夕と重なるが日本古来の習俗として盆の諸準備を始める日ともされている日に供養するものです。
新盆宅ではこの日に盆棚を設けて新亡を祀り始め、近隣の人々がこの日から供養に訪れる。
祖霊供養、亡者鎮撫の念仏剣舞も、この日を笠揃いとしているところも多く、門口に新仏の印としての盆旗が掲げられている家々を廻る。
新仏のある家では縁側に遺影や香炉を置いて剣舞の舞い込みに備える。
この日の浦浜念仏剣舞は二十数軒から初茶参りを頼まれていたということで、午前9時の庭元宅での踊り始めから昼食休憩を挟んで午後までかけて越喜来地区を廻ったということです。
気仙地方の念仏剣舞は、総じて平泉の高舘落城を起源とした義経伝説に基づいたもので、鎧剣舞と肩怒り剣舞との2つの流れがあります。
浦浜念仏剣舞は肩怒り剣舞の流れで、明治初年に日頃市の大森剣舞から習い直したということです。
閑話休題
念仏剣舞の義経伝説とは、兄頼朝の追討令から、船にて瀬戸内海を九州に逃れる途中で滅ぼされた平家武将の亡霊が襲いかかった時に武蔵坊弁慶が経文を唱えて鎮めたというものです。
それに象り、ササラは弁慶を表し、その持つササラ棒は経巻を体している。
後に続く舞手は皆平家の武将を擬している。
舞い込みは、ササラを先頭に庭入りする。
ササラが初盆宅で用意した香炉を掲げて踊る。
この時に掛ける歌は、新仏が大人であれば地蔵和讃、子供であれば花和讃
掛け歌
〽 帰命頂礼地蔵和讃
香の煙は細けれど
天に登りて雲となる
雲は何雲五色雲
五色の雲のその上に
地蔵菩薩がお立ちある
拝むとすれば雲がくれ
雲は邪険で拝まれぬ
雲は邪険でなけれども
わが胸邪険で拝まれぬ
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
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