舞い降りた天女は何神様か 平倉神楽「天女」@2009遠野座 夜神楽
さて本日からは、令和2年7月23日に遠野市中心部にある「とおの物語の館 遠野座」にておこなわれた夜神楽についてです。
この神楽上演会は例年はゴールデンウィークから8月にかけてプログラムが組まれておりましたが、今年は疫病対策により、7月から開始となったようでした。
※下図ポスターはクリックすると拡大されます。
ということで、最初に上演されたのは遠野市上郷町の平倉神楽さんです。
平倉神楽の由来については「遠野の民俗芸能」等より
「明治34年旧宮守村塚沢の塚沢神楽から二代にわたって指導を受け、その時、神楽幕及び権現様をいただいている。
戦時中に中断していたが、昭和30年頃からは神社での神事のみ行った。昭和60年ごろに小学生のシンガクを復活させ八幡宮例祭等に参加するようになった。
平成12年から岳神楽の直系である石鳩岡神楽から一の倉保氏を招いて指導を得、本格的な幕神楽の練習を開始して今に至る。」
とあります。
さて天女の舞です。
早池峰神楽の女舞の中でも、執念ものではなく女神を扱った演目です。
筋立ては善光寺如来を慰めようと如来堂に集まった神々でしたが、順番とて諏訪の神女が一舞して興じると、それにつれて神々もおおいに囃したというめでたい内容です。
幕出しは 〽 明日は祇園の祀り事 いざさらいでて あそぶなり
平倉神楽の会長さんの解説では、この舞には女舞の基本的な所作が全て入っていて、これが舞えれば他の女舞の習得も可ということなようです。
ところでこの天女とは何神様であらせられるかということです。
同じ早池峰神楽でも岳と大償では若干詞章が異なり、この舞は誰なのかも違っているようです。
「大償神楽」佐々木直人遺稿集(1)脚本集によると
「 されば今夜の舞神は 明神御前の御番に当たってまいさぶろう
明神御前の御番なら取り揃えて奏すべし
鼓は祇園 笛は熱田の明神 後ろは岩神 前は辛 右は山王 左は稲荷」
そして舞神はというと
「こう御前に罷り立ったる女をば いかなる女と思し召す
我はこれ参候らん 働く郎党賤なるべしとの仰せなり」
と、つまり舞神ならぬ賤女と名乗り、諏訪の神女ではないかと問いかけても尚ただの賤女と応えるのみとしている。
これに対して岳神楽はどいうかというと「日本之芸能早池峰流山伏神楽」菅原盛一郎編著では
「 されば日本の神々は 日の神慰め奉らんとて 三五の月の隈無きに
宮殿の庭に座を作り 韓神催馬楽謡いつれ
中にも諏訪の明神な 年を積もりて老いの浪
昔久しき龍紋な打つ鼓
神々は御声を挙げて謡うべし歩み来て
しかも今夜の舞神な 如何なる神の御番に当たって舞候
娘の神の御番なら取り斉えて拍子べし
さて鼓は祇園
ハー 笛は熱田の明神の役となり 北野は千万天神天王達はお座り給う宝なり
後ろは岩上 前は鹿の子 左は山王 右は稲荷
ハー とても思えば天の磐戸に神遊ぶ
とうりら とうりらと たらありらや 」
ということで、諏訪の明神の娘が舞神としている。
(※同資料の脚注では娘の神は「須勢理姫=素戔嗚尊の子」としている)
まあ、神話の解釈はそれぞれの思い入れが肝心なので、どちらも意味深いものを内包していると考えます。
と、そして今一つの「舞い降りた天女は何神様か」ということ
それは、この天女の舞手は遠野市の出身ではなく、他県から協力隊として赴任して、平倉神楽の一員として活動している女性ということでした。
彼女の熱意と取り組みに拍手を贈りたいと思います。
動画でどうぞ
