浦浜念仏剣舞「念仏踊り、綾踊り、高館」@2009岩手県民俗芸能大会 ~剣舞で綴る浄土の世界~
さて本日は、平成21年7月12日に大船渡市リアスホールにて開催されました第62回岩手郷土芸能祭から浦浜念仏剣舞で念仏踊り、綾踊り、高館についてです。
由来について
「発祥等は不詳だが、江戸時代中期またはその後に始まったものと推測されている。地元では「けんばい」ではなく「けんべぇ」といわれている。
念仏剣舞は「反閇(へんばい)の呪術的性格と浄土信仰とが結合したもの」といわれている。
浦浜剣舞は胴取り(太鼓)、笛、踊り手と構成される。
踊り手は八人構成を基本とし、全員仮面をつけ、踊りの中心ささらは赤地の三番叟、主剣舞から四剣舞の五人は毛ザイ男山と女山は鳥兜をかぶる。
衣装の両袖を脱ぎ背中に付け、両肩を赤い縁取りで高く盛り上げていることから、「脱ぎ垂れ剣舞」または「肩怒り剣舞」の異称をもつ独特のスタイル。
踊りの演目は七つ、念仏踊・一本扇子・二本扇子・綾踊・十五・長刀・高館(タカダチ)が伝えられている。
毎年8月5日に地元「円満寺」の施餓鬼法要を踊り初めとし、7日には初茶者(新盆)供養、先祖供養で地区内の家々を訪ね縁側に出された位牌を前にし踊る。」
ということです。
最初の念仏踊りでは、ステージに据えられた位牌を前に踊り、胴取り(太鼓)が歌う念仏和讃にのせ、ささらが香炉を高く持ち上げ庭をめぐり、踊り手一人一人に焼香させる。
三陸の念仏剣舞は昔は面を用いていなかったそうである。(森口本P834)
主役のササラが亡者の一人一人を念仏により折伏していく所作は衣川の川西念仏剣舞からの伝来と考えられる。
シカ(腰に付ける大口)に刀を通す孔を開けるのも衣川とここだけである。
してみると、ここのササラの役回りは川西(や胆沢)念仏剣舞におけるカッカタと同じではないのか。(それで真っ赤な烏帽子なのか)
高舘の演目については義経伝説から引いているとしています
「平家を追討した義経が、兄頼朝と不仲になり摂津の国の大物浦から船で九州に落ち延びる途中、嵐にあった。
その時、平家一族の亡霊が現れ、義経一行を悩ませたので、弁慶が経文を読んで亡霊を鎮めた」
踊り手のササラが手に持つササラは、弁慶が読み上げる経文を表したものといわれている。
荒れ狂う亡霊たちをササラが折伏していく様がこの情景を表しています。
最後は伝承の要、子供たちによる剣舞です。
東日本大震災では津波により合同詰所は無くなり多くの道具が流失し、刀数本と面数枚、シカ数枚だけしか発見することができなかった。
合同詰所に置いてあったものや、個人で保管していた衣装や太鼓が流失。
その後、2015年には高台にある古水会長さんの敷地内に伝承館ができて、踊りの稽古や装束の保管が可能となった。
震災後の復興を担う主役はこの子たちです。
動画でどうぞ
