白浜神楽「曽我兄弟仇討」@2015白浜神楽上演会
さて本日は、平成27年9月26日に一関市花泉町涌津市民センターで行われた白浜神楽上演会から曽我兄弟仇討です。
この日白浜神楽さんではこの演目を曽我兄弟「父の仇討」の段と銘打って、前段後段の二幕として演じました。
神楽の筋書きについて当日パンフレットより
父が工藤祐経に赤沢山の麓で討たれたのは、兄弟が五歳と三歳の時であった。
それから十八年目、頼朝公が全国の名だたる武将を集めて富士の裾野で行う巻狩りに祐経も参加することを知った兄弟は、勢子) として紛れ込み、父の仇討を果たそうとする。
しかし、警護が厳しく途方に暮れる日々であった。
兄 十郎祐成と
弟 五郎時致
最終日の前夜に、各武将が酒宴を開くことを知り、討つのはこの時と決心した兄弟は、大雨の中、祐経の仮屋を探し回る。
一ノ木戸、二ノ木戸を通り、三ノ木戸で警護役の御所の五郎丸に情けを受け、祐経の紋所を教えられる。
兄弟は教えられた工藤祐経の木瓜紋の仮屋を見つけ、松明を吹き消し、刀を抜いて真っ暗な寝所に踏み込むが、祐経はいなかった。
兄弟は落胆し、今までの観難辛苦を思い出し悲嘆に暮れ、この上は自害して父母に詫びようとする。が、その寸前で侍女の和歌に導かれ、本懐を果たすのであった。
兄弟は、もうこの世には何の未練もない、と討ち死にを覚悟して外へ飛び出していく。
「ヤーヤー遠からん者は音に聞け、近くの者は寄って見よ」
時に建久四年五月二十八日、雨の夜半のことだった。
寝所を急襲して工藤祐経を討つ。
どんな干ばつの時でも、田植え時の五月二十八日になれば雨が降り「曽我の雨」と今でも言い伝えられている。
ということです。
動画でどうぞ
