雄鋭神社獅子舞@2011第31回尾松地区鑑賞会
さて本日からは平成23年2月6日に行われました第31回尾松地区鑑賞会の様子についてです。
今年はコロナ対策で神楽大会や共演会が行われていない状況ですが、少しずつではありますが少人数での奉納等も行われ始めています。そんな中ですが、一日も早く例年通りの神楽等の芸能上演の場が戻ってくることを祈念して過去の映像等を掲載していきます。
尾松地区鑑賞会では、毎回冒頭に特別友情出演として雄鋭神社獅子舞が上演されていました。
由来について「栗原伝統伝承芸能記録保存」(平成25年3月刊)より掲載
「高松に鎮座している雄鋭神社には獅子舞が伝わっている。言い伝えによるとその始まりは平安時代の延喜年間(九一〇年頃)、時の右大臣藤原時平が国内の各神社に祭典の神輿渡御の時にはお露払いに獅子舞を出すようにとのお触れを出された。
時が流れて明治十四年(1八八1年)明治天皇が東北地方へのご巡幸のとき金成耕土に於いて近郷地区の獅子舞を集め天皇のご巡幸の無事を祈って盛大に露払いの獅子舞を催した。
多くの獅子舞の中でひときわ目立って勇社にまさに生きた獅子の如く舞っている獅子舞の一団があった。それがなんと雄鋭神社の獅子舞だったとのことである。その為雄鋭神社の獅子舞は天皇のそばに仕えていた桜井侍従武官から「誠に勇壮なすばらしい獅子舞だ」とお誉めの言葉をいただいたと伝えられている。」ということです。
会のあゆみについて
「昭和五十八年,平安時代から続く雄銳神社の獅子群は諸事情により当時途絶えていた。何とか復活させようと上清水田地区の人たちが立ち上がり、地域の長老たちに話を聞いて回り会は結成された。年月が経つにつれて、会員の高齢化が進み後継者不足に陥り、会の存続が危倶されていた。そこで地区の消防団員に誘いがあり、団員たちが中心となって後継者として活動をしている。」
ということで現在は元旦に地区内(稲屋敷)の家々をまわって厄払いしているということです。
栗原市内に同様の獅子舞が四団体ほどある。
いずれも二人立ちの獅子に獅子あやしが一人つく形式です。
獅子あやしが獅子を先導して庭入りし、獅子を操りながらも酒に酔って眠った獅子を叩き起こす等の所作をするのは栗原~登米地方に広く分布する獅子舞の共通項であす。
推量するにこの獅子舞は薬莱神社神楽付属の獅子舞であるとか、金成町の小迫延年の獅子舞(ちゃれこ舞)の系統と思われます。
これが陸前浜にわたると獅子あやしはジャラカシという呼称で踊りも軽快になり、太鼓囃子は急テンポの勇壮なものへと変容する。
動画でどうぞ
