化粧坂念仏剣舞「一番庭」@2010第44回胆沢郷土芸能まつり
さて本日は、平成22年11月28日に行われた第44回胆沢郷土芸能まつりから化粧坂念仏剣舞で一番庭です。
由来については「胆沢の民俗芸能」(昭和47年刊行)より
「伝によれば化粧坂剣舞は相当古くから行われ、今に至るも有名なカッカタ勘兵衛」なる者は今から約百八十年前、寛政年間の踊り手で此の頃以前にも相当の経歴を持っていたと言われている。又古老の言によれば明治以前に於て上大文字の某なる者が六原に働きに行っていて許可なく和賀郡岩崎に剣舞を教えたことによって危く破門さるところをお詫して許されたと申されている。
明治九年になって化粧坂剣舞は南下巾剣舞と踊りの交換指導を行い、南下巾から本剣舞二庭を伝授され化粧坂剣舞から二庭伝授した為化粧坂剣舞の本剣舞は四庭あるわけである。
明治九年には若柳の新里から剣舞の伝授を乞われ、石川男三郎、村上善太郎の両名が師匠として参り新里剣舞を創始している。
化粧坂剣舞は朴ノ木沢剣舞の様高舘剣舞の流れを汲み、高舘剣舞の|踊り方、即ち踊り始めに「光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨、発菩提心往生安楽国、南無阿弥陀仏」と称えて踊り始めることを現在やっていないが、九十年前に伝授した新里剣舞は今尚くずさず御題目を称えて踊り始めているのを見ると、やはり化粧坂剣舞も高舘剣舞の流れを汲むものと思われる。
「怒もの」も豊富で一人一人毎に会得されてある」ということなようです。
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