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2020.02.23 | Comments(1) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

南部笹流大平神楽「三番叟」@2020第41回志波姫神楽鑑賞会

さて本日からは、2月23日に行われました第41回志波姫神楽鑑賞会の模様をリポートしていきます。

この鑑賞会も回を重ねること41回ということですが、開会挨拶で志波姫神楽保存会の鹿野会長さんも言っておられましたが、昨年の第40回をもって諸般の事情により終了ということにしていたと。しかしその後にやめてしまえば終わりになるという声があったので今回も開催することにしたと。
正にそのとおりで、やめてしまえば再開するのは大変なエネルギーが必要になるし、発表の機会が減ると神楽師さんたちも活躍の場がなくなる訳です。今日も少なくなったとはいえ大勢の観客が集まりました。是非続けてほしいと栗原市長さんもおっしゃっておられますから、鹿野会長さん来年もよろしくお願い申し上げます!

さて、当日のプログラムは次のとおりですので、順番にそって書いていきます。

南部笹流大平神楽 三番叟
宮野神楽 敦盛・玉織姫別れの場
阿久戸神楽 御所の五郎丸陣屋巡り
南部笹流大平神楽 牛若丸一代記の内 五條の橋
川北神楽 石川悪ェ衛門二度合戦の場
白浜神楽 作耕舞
岡谷地南部神楽 軍勢借り
赤谷神楽 一の谷首取りの場

ということで、最初は神楽の場を清める神舞ということで、南部笹流大平神楽さんで三番叟です。

その前に大平神楽さんの由来について

「明治初年に岩手県胆沢郡衣川村上衣川から若柳に婿入りした高橋忠右エ門が間海の田代芳蔵らに指導した。
梅崎神楽と称した。
明治18年にその田代芳蔵から大平の鹿野巳代吉、明治25年に鹿野吉三郎に伝授された。
初代庭元田代政之進、二代鹿野吉三郎、三代鹿野信一、四代目は鹿野一男である。
戦後に後継者難で長い間中断したが、昭和58年に不動堂西館青年会が中心となり、当時最期の神楽師である佐藤七右衛門、及川千次郎の指導のもとに再興し、平成元年三月一日、志波姫町教育委員会より、無形民俗文化財第一号の指定を受けた。」

現在の代表者は猪狩賢一さんです。



演目の三番叟は、南部神楽の式舞に位置づけられています。
かつては南部神楽の上演でも式舞を舞納めてからでないと仕組神楽(劇舞)を舞うことができなかったわけです。
この日も式舞を先に奉じてという意味合いで、代表格の大平神楽さんが三番叟を上演しました。

出掛かりでは幣束を幕前に差し出して歌が掛かります

〽 吉が野に 吉が野に 今に日は照るとも 日は輝るとも 常に流るる 鳴る瀧の水
  鶴殿や亀殿が玉つれて 今日は第39回志波姫神楽鑑賞会の社前において 幸い心と舞い遊ぶ

胴の拍子も独特です。


20200223101326IMG_7994.jpg

大平神楽の三番叟について当日パンフレットにはこうあります

当笹流の三番叟は三種あり、いずれもそのセリフから又囃子歌から解釈する時、民族の平和と繁栄を祝福し万民の平和と健勝を
祈り、人生の宿縁を歌う誠に目出度き舞である。
また三番叟は舞台を清める舞であり、別名(四方型、四方祇)の舞とも言われ、神楽の幕開けを意味するものである。

20200223101624IMG_8001.jpg

三番叟と胴取りのやり取りも常のとおり

20200223101628IMG_8002.jpg

大平神楽さんの三番叟は御神楽の部分で大きなクネリが入るのが独特です。

20200223102130IMG_8018.jpg

動画でどうぞ


テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2020.02.23 |

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祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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