水掛け走る!@2020大東大原水掛け祭り
さて本日は、大東大原水掛け祭りのメインイベント、水掛け走るです。
ここであらためて大原水掛け祭りの由来について「変遷の記録、大原水かけ祭り」から引用する。
はじまりは江戸期の明暦の大火後に幕府が発した火防令を受けて当時の八幡寺(現八幡神社)の僧が京都の密教のみそぎ祈願を取り入れて、寺の前を流れる払川で身を清めて祈願したことに始まるのではないかと言われている。
安政年間の古文書に「今年も恒例の水かけ祭りが近くなったので、準備をよろしくお願いする」という八幡寺から町方の年賀会にあてたものがあるとのこと。
また、水かけをする「水」であるが、明治の初め頃まで大原の街道の真ん中を防火用水路が通っていて、祭りの時は水かけ役はその水路に入って水を手桶で掬ってはかけ、厄男はその両側を走りぬけたということだ。
昭和初期になって祭りが盛んになってくると参加できない女子の代わりに若者男子が女装して手踊り会を作り歳祝いの家を回ったということだ。
その後、祭りは一時衰退をみるが保存会の尽力もあり、様々な趣向を編み出して今日のような活況を見るに至ったのである。
「祭りは誰のものか」ということはどの祭りにも言えることだが、伝統を守ろうとすれば観光の役には立たず、観客に迎合すれば祭りの本質が瓦解するという矛盾をはらんでいる。
ということです。兎にも角にも現在の水掛け祭りは、岩手県指定無形文化財にもなり、毎年盛大に行わるようになってきた。
ごご0時40分から消防団による纏振りや梯子乗りが出され、祭りの火伏せの行事であることを示している。
いよいよ水掛けとなるが、最初に神官を先頭に先払い行列が通る。
1区から5区までの5つの区間を厄落とし祈願の男たちが駆け抜ける!
今年は例年にない暖冬であるとはいえ、真冬に裸で水を浴びるのは尋常ではない。
皆それぞれが心に祈願を抱いて走り抜けるのである。
とはいえ、今年還暦祝いで参加した知り合いはもうやれないと言っていた。確かに年寄りには「冷水」だろう。
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