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2020.01.15 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

笹流加賀野神楽「一の谷合戦敦盛首取りの場」@2019第15回登米市民俗芸能大会

さて本日は、第15回登米市民俗芸能大会から笹流加賀野神楽で一の谷合戦敦盛首取りの場です。

加賀野神楽さんの由来について

「笹流神楽は、志波姫町出身の南部神楽師・鹿野吉三郎が興した流派で、現在、志波姫に大平神楽として伝承されています。
明治43年(1910)、鹿野吉三郎を師匠に招き中田町石森野元の千葉源吾宅において修練を積み、「野元神楽」として始めたのが「加賀野神楽」の前身で昭和20年(1945)項まで盛んに演じられましたが、戦後は高度経済成長による社会情勢の変化や後継者不足のため行われなくなりました。
野元神楽を伝承していた中田町宝江新井田の熊谷孝翁が大正6年(1917)頃から新井田地区の人たちに教え「笹流新井田神楽」を興しています。
昭和53年(1978)11月、長らく途絶えていたこの神楽を後世に残そうと加賀野地区の青年たちが中心となって同系統の南部神楽である「新井田神楽」から手ほどきを受け、「加賀野神楽」として復活し、その後は「なかだの秋まつり」をはじめ、各種イベントや大会に出演し、現在、若い後継者も育つています。」

幕出しは 〽 センヤーハー 熊谷が一の谷に急ぐなり



一の谷合戦で敗れた平家の若武者平敦盛 忘れ物の笛を取りに戻ったところを呼び止められる

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熊谷次郎直実です。

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熊谷が敦盛の首を取るに取られず逡巡する所作が実に躍動的です。

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捕まえた敦盛は、昔直実が世話になった平経盛の一子で、我が子小次郎直家と同年であったため見逃そうとすうるが、味方の平山判官に見つかる。
迷っている直実に、ならば自ら切腹するという敦盛 その手を止める直実  愁歎の名場面

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かくて、泣く泣く首を取る

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敦盛を討った後、首を懐に出家の道へと歩み出す熊谷次郎直実です。
見事な一の谷でした。

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動画でどうぞ

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2020.01.15 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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