金ケ崎の甚句踊「三ヶ尻、西根」@2019第39回金ケ崎町郷土芸能発表会
さて本日は、第39回金ケ崎町郷土芸能発表会から三ヶ尻甚句踊と西根甚句踊です。
共に金ケ崎の甚句踊で伝承指導したのは三ヶ尻の鈴木清四郎ということです。
三ヶ尻日吉神社境内には「手踊師匠 鈴木清四郎氏碑」が門人一同によって大正14年4月に建立されている。
その鈴木清四郎が大正10年頃に茨城県から手踊りの師匠を招いて伝授された後、江刺や金ケ崎方面各地に教えて歩いたのが始まりという。
日本各地で踊られている祝いの席に花を添える甚句踊りは馴染み深いものとして今でも踊り継がれている。
それぞれの甚句踊りの由来について「金ケ崎の文化財Ⅱ」より抜粋
「三ケ尻甚句踊りは、大正時代、厳しい生活の中にも楽しいことがなければと手踊師匠鈴木清四郎が始めた。
地区内の大賑舞には、太鼓·笛·延など鳴り物に合わせて宴席で踊った。
鈴木清四郎の門人たち北方の千葉嘉一、稲瀬の菊池金治等が発起人となり師匠の碑を建立し、近郷に三ケ尻甚句を広めた。」
「金ヶ崎町西根谷地地区には「ジンク踊り」または 「ジンコ踊り」と呼ばれ、祝いの席で即興的に踊られる踊りがあった。
昭和44年に千葉圭助氏が中心となり、体系的に整理し、西根基句踊りとした。
その由来は、一つには明治の初期頃から伝承されて来たものだといわれているものと(及川マツミ氏談)、もう一つには、金ケ崎町三ケ尻字中村の鈴木清四郎(1853~1934)が壮年の頃、江刺と金ケ崎のほうぼうの地区に足を運び、有志宅を訪れて教えたのが始まりと言われているものがある。三ケ尻日吉神社境内に「手踊師匠、鈴木清四郎氏碑」が、門人一同によって大正 14年4月に建てられている。
この踊りが踊られるのは、結婚式、孫抱き、建前祝、新宅祝、田植後のマンガアレ、秋の収穫後のニワバレなどの祝事で宴たけなわとなったときであった。今は、公演の依頼があればいつでも、どこでも演じている。」
動画でどうぞ
