行山流山口派柿内沢鹿踊「案山子、鹿の子」@2019住田町芸能まつり
さて本日は、2019住田町芸能まつりから行山流山口派柿内沢鹿踊で案山子、鹿の子です。
踊り組の由来について「おらほの街・住田町散策」から引用
「寛永年間(1627年)旧世田米村の肝入(村長)に登戸屋敷弥市が古文書に見えている旗の頃、登戸屋敷加蔵の代、寛政の初め(1789年)矢作村馬越より伝授され地区に帰り人々に伝習させたのが始まりだと言われています。
加蔵は若くして妻を失い、愛児一人と馬一匹が残されました。途方に暮れていましたが馬を売って矢作村に行き、鹿踊りを習い、皆伝を受けて帰宅し、妻の霊前で踊りました。行山流山口派に属し当町では活発で勇壮な動きをする踊りとして藩政中期より伝承されています。」
とあります。
また、天明あるいは寛政年間に大原山口から直接伝えられたともある。
頭はつり上がった目に少し開いた口。
前幕は咽印が井桁に九曜紋。幕裾が九曜紋に日の丸扇や蟹紋。
袴の前紋は中立が源氏車、しがリが蝶紋
側鹿が牡丹
流しは中立が菊の紋と「陸奥能信夫牡鹿農女鹿廼郷 声遠曽呂邉天遊婦志嘉可裳 (みちのくのしのぶおじかの女鹿の里 声をそろえて遊ぶ鹿かも)
演目の案山子では、鹿が人間の作った案山子に驚きつつ興味を示す場面が演じられます
側鹿がいろいろ試した後に中立ちの鹿が案山子の正体を見破り仲間とともに安堵の踊りをするという内容ですが、今回の柿内沢さんの表現は細やかな工夫がされていました。
動画でどうぞ
