長下田神楽「屋島合戦より 忠信・兄継信尋ねの場」@長下田神楽創立70周年記念奉納神楽
さて本日は、長下田神楽創立70周年記念奉納神楽から長下田神楽で屋島合戦より 忠信・兄継信尋ねの場です。
ところで、先日掲載した長下田神楽の南部長下田神楽保存会誌によると、長下田神楽の元となったとされる花泉上油田神楽について次の記述がある。
「由来及び沿革
慶安元年、現在の岩手県一関市花泉町油田城跡に四社門を祀り山伏系の神楽を奉納。
四方四面に注連縄を張り、五色の旗を飾り、太鼓、笛、鉦を用いて降神の舞、御神楽、三番叟舞、岩戶開き舞などを中継禪師より伝授。
その後、花泉油田の実明山加山の当主十七代目小野寺寬美師匠より大乗神楽系の宮鎮め舞などを伝授。
その後、法印神楽系の西の雲舞、水神明神の舞など花泉の油田神楽から伝授。」
しかしながら、これは上油田大念仏剣舞の伝本の記述からと思われ、剣舞を伝授したのは上油田村大隠寺の権大僧都忠慶である。剣舞の最初に翁面をつけたものが扇錫杖を持って御神楽をするという記述もあるが、いわゆる式舞を奏したという記述もみられず、その後は「剣舞五様に踊る成」とあるのみ。
いずれ、上油田には法印神楽があったとされ、現在一関市では調査を行うやに聞いているので、今後の動向を注視したい。
さて、屋島合戦の場面ですが、平家方の武将、王城一の強弓精兵と言われた平教経が登場し、わっぱの菊王丸から受け取った管矢にて、源氏の武将佐藤継信を討ち取った、次は判官義経を射つなりと気炎を上げます。
場面変わって、義経が出て、家来の継信の姿が無いことに気づき、継信の弟忠信に捜すよう命じます。
「頃は弥生の三十日の晩、暗さも暗いよ、見て見えず。空に紫雲たなびき星一つだに無し。ここはいずこぞ、皆敵の国」と詠いながら捜す忠信。
はるか砂浜の向こうから兄の呼ぶ声が。
弟忠信は、兄の末期を悔やみ、兄継信は主君と弟に形見を残すと言い渡す、愁嘆の場面です。
動画でどうぞ
