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2019.09.30 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ虎舞

大沢虎舞「刺し鳥舞、虎舞」@復興応援もりおか広域まるごとフェア

さて本日は、9月29日に盛岡市の旧バスセンター跡地で開催されました復興応援もりおか広域まるごとフェアから大沢虎舞で刺し鳥舞、虎舞です。

このイベントは盛岡広域圏の観光物産フェアと同時に沿岸部との交流を目的に開催され、沿岸部の芸能が招待上演されたものでした。
会場は旧バスセンター跡地なのですが、新盛岡バスセンター建設予定地ということのようです。



さてその中から山田町の大沢虎舞です。

由来については「全国虎舞考」より抜粋

「大沢虎舞はおよそ250年ほど前、江戸時代の中期、吉里吉里善兵衛家運隆昌、遠く江戸や長崎に交易し、親船に海産物を山積みし、その富は三陸沿岸随一といわれた。その時、親船の船方として乗った大沢村の衆が江戸で知ったか、長崎で見覚えたか、村の祭に虎舞を出し笛や太鼓の拍子や囃子もにぎやかに舞い歩き、神に奉納したのが始まりであるといわれる。
演目は三つの舞から構成されており、これは季節によってそれぞれつくられたものであるらしい。
逆び虎、春の長閑な日にのんびり草原に転び戯れている姿。
笹ばみ、新緑鮮やか初夏の風香る季節に新芽の笹をおいしそうにほおばる風景。
跳ね虎、荒れ狂う虎を仕とめる和唐内、勇壮果敢の場面。
大沢の虎舞は、現在はこの「跳ね虎」のみが踊られている。」

大沢村の衆が持ち帰った虎舞は大槌釜石虎舞のルーツとも言われいている。

最初に刺し鳥舞

大沢では虎舞と太神楽にこの刺し鳥舞がついているという。

歌詞の冒頭は次のとおり

〽 うめのわがきむらむらすずめ 羽を休めて面白や
  ハーア さすとりな、さすとりな さすとりがみひょうがみ
  もったいなしの いけこんじょう やまだのほとりのそわいし
  さいどさいなみさいな

  ハーア 今日も日和、明日も日和 
  世の中よかろとさえずるところを さいどりさしが見つけて
  ハーアこのあんばえにかんめえだ 
                           以下略

この舞は全国各地で余興舞として取り入れられている、いわゆる囃子舞で歌詞の意味は推量ください

PIC_0300.jpg

次に虎舞、場面は和藤内の虎退治です。とにかく和藤内役の歌舞伎役者ぶりがすばらしかったです。

筋書きは次のとおり

「明の国は17代思宗列帝の時代であった。帝には鄭芝竜とい忠臣があった。
帝はその忠臣鄭芝竜の忠言も入れず股肱の臣呉三桂の諌め聞かず、好臣季踏天の計らいの手にのり、ついに滅亡の非運に陥った。
皇帝の怒りにふれた鄭芝竜は日本に亡命し、肥前の平戸の田川藩士の娘と婚を積び、一子和藤内を生む。
和唐内は幼にして英知、正義に強く、かつ勇壮剛毅な子供であった。
長じるに及び父鄭芝竜の血と気性に富み、その意気盛んなものがあった。
(中略)
父鄭芝竜の再興を図るため明に渡ったが、虎が住む千里が竹にて数万の敵に囲まれた。
その時和藤内が母から渡された天照皇大神の札を虎に向けると虎は平伏し従ったため、明の兵に向かって
「この虎が欲しくば和藤内を味方につけい!否か応か」と詰め寄った場面

ところで虎舞の途中から本降りの雨になってしまいましたが、最期まで力いっぱい演じていただきました。

PIC_0306.jpg

動画でどうぞ

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2019.09.30 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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