向町さんさ踊り@第53回岩泉町郷土芸能祭
さて本日は、第53回岩泉町郷土芸能祭から向町さんさ踊りです。
由来について当日パンフレットより
「大正9(1920)年、当町出身の三田地権次郎氏が、宮古の花輪で盛岡の本材業者から踊り・笛・太鼓を習い、岩泉に持ち帰りました。
翌10年、上宿に出稼ぎに来ていた小笠原弥一氏と三田地権次郎氏が、一緒に、町内の若者に教えたのが「向町さんさ」の始まりとされ、佐々木政造氏が最初の弟子とされています。
戦前戦中何年か踊られない時期がありましたが、戦後、再度三田地権次郎氏によつて若者たちに教えられました。この時習った若者の多くが向町の青年だつたので、「向町さんさ」と呼ばれるようになりました。
踊りの演目については、「通り」以外ははっきりした名称がなく、太鼓の口拍子で表現しておりましたが、昭和55(1980)年岩泉高校文化祭に取り入れられた時から、「通り、本踊り(1番から7番)、甚句くずし」と名付けて、現在9種踊り継がれています。
昭和60(1985)年ごろからは、さんさ踊りの他に岩泉甚句、盆踊りのキタ甚句、シカガ甚句などの伝承にも力を入れ、様々な分野で披露或いは指導にあたってきましたが、近年は踊り手会員の減少と生徒や児童の新規入会が減って悩んでいます。」
ということですが現在の保存会会長は三上久人さんです。
岩手のさんさ踊りは夏に盆供養や豊年踊りとして広く踊られたもので、盛岡周辺を核として東は宮古、山田地方の沿岸部、南は花巻北上さらには遠野周辺を経て伝承されている。戦後は旧伊達領内の江刺や一関市大東町まで広まっている。
向町さんさ踊りのルーツとされる三田地権次郎氏が習ったとされる、宮古の花輪は、現在では南川目のさんさ踊りが伝承されていて花輪中学校の生徒に指導して伝承活動を続けている。そして向町さんさ踊りでは地元岩泉小学校に指導し、運動会などで披露されている。
やはり伝承活動に学校が果たす役割は大きいなあ。
というわけで、この日は、岩泉高校の中野七頭舞との掛け持ちで頑張った高校生たちもいたということです。元気な笑顔に拍手!
動画でどうぞ
