小田代神楽 「荒調子と権現舞」@第44回胆江神楽大会
さて本日は、第44回胆江神楽大会から小田代神楽で荒調子と権現舞です。
小田代神楽さんの由来について定本より。
「明治28年10月、部落の氏神五十瀬神社に神楽を奉納するため、氏子総代の植田喜作が庭元となり、羽田の鴬沢神楽から師匠を招き指導を受け、小田代神楽を創設した。
初代庭元植田喜作、二代及川春治、三代及川清志四郎、四代~五代及川篤男である。」
とあります。初代の植田喜作が指導を受けたのは菅原金之丞とあるが、金之丞は千葉栄佐衛門とともに瀬台野神楽を立ち上げた人物であり、後年田原の蟹沢に婿入りして蟹沢神楽を創設し、周辺の地域にも神楽指導をした。
そして現在の第六代目庭元は及川章さんです。
先に、三番叟の裏舞である荒調子舞について。
神楽本によると、国常立尊の舞とされ、国土安泰、繁栄を願う神楽で、表舞の三番叟と比べて調子が早く動きも激しくなっています。表舞がネリとすると裏舞はくずしということでしょうか。
さて、荒調子舞の舞手は、いつもの荒舞の名手ですが、この日は山の神舞の裏舞である宮鎮舞を後輩の神楽女子に譲りました。
すっかり師匠といった感じですね。
そして、神楽大会の最後は権現舞で締めです。
小田代神楽での権現舞においても下舞がありましたが、それは岳大償の下舞とは異なり、御神楽舞の手を下舞としているようです。
次に、権現様を舞わせる二人の舞手が登場する訳ですが、こちらはほとんど山伏神楽の権現舞と同様です。
が、やはり特徴的なのは権現舞の前半部分は、岩手県南部の胆沢地方から宮城県北地方に広く分布する獅子舞の様式をとっていることです。つまり、獅子を神の権現としているというよりも、獅子あやしによって祓われる聖獣としての獅子として扱っていることです、なので最初に獅子あやしが刀でもって獅子を祓う所作があります。
そして、次に獅子あやしが山伏神楽の権現舞につきものの別当役に変わって酒や米等を獅子に振り掛け祓う所作になります。
最後は舞台したに降りて観客の皆さんの頭齧り、身固めで舞納めます。
あたりはすっかり夕暮れとなりましたが、たくさんの人達が最後まで熱心に神楽を鑑賞しておりましt。
また来年の胆江神楽大会も楽しみにしています。
動画でどうぞ
荒調子舞
権現舞
