お寺で盆踊り そして兄和田念佛剣舞
さて本日8月16日は送り盆です。祖霊を再びあの世へと送り出す日であります。
昨日15日は江刺米里の自徳寺において、8年ぶりに寺の境内での盆踊りを復活させるということで行って参りました。
躑躅森大康さんという若いご住職が平成14年に就任していらい「お寺は本来、人が集まる憩いの場、普段は黒い服で涙を流しているイメージの場所だが、盆踊り復活をきっかけにお寺が笑顔で溢れる楽しい空間にしたい」との思いから、地区の青年たちと実現させたものという。
というわけで、夕刻6時に住職の法要が営まれ、続いて境内に設えられた櫓を囲んで米里音頭に合わせて盆踊りが始まった。
盆踊りは、本来盆の時期に死者を供養するためのもの、それ故にお寺で踊るのが本質なのかもしれない。
それにまして、お盆に帰ってきた祖霊に対して賑やかに集うことこそ追善供養になることと思います。
この日は、江刺岩谷堂の商店街において恒例のみちのく盂蘭盆まつりが行われていて、そちらにも出演していた兄和田念佛剣舞の一行が自徳寺に到着したのは7時30分ごろで、それから本堂前において奉納がなされた。
兄和田念仏剣舞についての由来について
文久3年(1863)に兄和田念佛剣舞が玉里村角掛の伝左衛門に伝承した際(念佛剣舞由来一巻)には「渡部甚四郎から文政8年(1825)に米里村兄和田の幸三郎に「七ヶ条目録の剣舞」を伝えられた」という。
この渡部甚四郎の出自は不明ですが、兄和田念佛剣舞の供養塔としては、享保14年(1729)のものが残っているということなので、あるいは周辺の剣舞と同様に衣川の剣舞が入っていた時期もあったのかと推量される。
演目には、早念佛勿込入躍(後踊は狂二人躍)、片入躍(後踊は狂三人躍)、遠念佛練入躍(後踊は狂二人躍)、太刀入躍(後踊は狂四人躍)等があり、その芸態は、念仏剣舞形成期の古態を偲ばせるものです。
また最後には住職より御花が上がったので礼舞で舞い納めました。
いつもは岩谷堂の川原町商店街で拝見する兄和田念佛剣舞ですが、お寺の境内で盆提灯の仄かな明かりのもとで見るのはまた格別な雰囲気があります。
動画でどうぞ
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