黒川番楽「清祓い・三番叟」@第28回秋田市民俗芸能合同発表会
さて本日は、第28回秋田市民俗芸能合同発表会から黒川番楽で清祓い・三番叟です。
黒川番楽は秋田市北部の金足地区に伝承されている番楽です。
由来については当日パンフレットより
「中世の山伏神楽を色濃く残す芸能で修験者が伝えたとされる黒川番楽は、石川理紀之助著『旧蹟考』(明治34年)の中の記述から、少なくとも江戸時代中期には黒川に定着していたと考えられます。
明治の中頃まで一時、番楽は途絶えていましたが、明治22年部落大火の際番楽の面を保管していた家が延焼を免れ、しかも番楽面の裏側がじっとり汗をかいていたなどの不思議な出来事があったことを機に、再び盛んになったと伝えられています。
神社の祝祭や村人の安穏、長寿、五穀豊穣を願い、時には雨乞い行事として長く演じられてきました。
大正3年の黒川油田の大噴油をきっかけに、300人足らずの小山村の人口が10倍以上にも膨れ上がった大正から昭和にかけての時代は、黒川番楽の「娯楽化」や「勇芸化」が一層進み、盛んに演じられてきました。
昭和42年に秋田市無形民俗文化財に指定されました。」
ということですが、現在の代表は佐藤康仁さんです。
番楽の囃子方は太鼓、摺鉦、拍子木です。
黒川番楽は所作の勇壮なことから「黒川勇芸番楽」ともいわれ、かつては表裏12番ずつ24演目があsったが、現在上演可能な舞いは、清祓・鳥舞・三番叟・剣舞・武士舞・姫舞・岩戸開・伊賀舞・曾我兄弟・橋引の9演目となっている。
清祓いは直面での一人舞です。
番楽の最初に舞うものとして、露払い、早舞、番楽舞などとも称して場を鎮めて祓いをする舞いとしている。
同様の役割をもつ演目として山伏神楽では黒森神楽などで清祓という名称で伊弉冉尊が桃の枝で祓い清めるものとしている。
舞手の両こめかみに垂れている白い布はかつては紙垂では無かったかと推量される。
一舞した後に、今度は黒尉面を顔に当てて、いわゆる三番叟の軽業をしてみせるのだが、ここの部分は跪いてしている。
再び面を外して、くずし舞的な所作をする。このあたりは番楽風な舞となっている。
ところで、この黒革番楽では次のような伝説があるという。
「番楽は、ときには雨乞い行事として行われることもあったらしい。
そして雨乞いに欠かせない演目が「鐘巻」であり、その舞で使用される「龍頭」が雨を降らせるとされている。
昭和初期、石川理紀之助翁の記念式典に来賓を招いて番楽各演目を舞った折に、当初のプログラムにはなかった鐘巻を舞ってほしいと声が上がった。
この時期は干ばつ続きで日照り気味の状態ではあったものの、田畑が流されるような豪雨を心配した人たちと揉める事態も発生したが、結局舞われることになった。
そして舞が終わり、深夜2時それまで満天の星空だったのがにわかに雨雲がかかり、2時間にわたって屋根に穴があくほどの豪雨になった。
だが、近隣の地域には全く降ることなく、この地域だけに降ったということで大評判になったそうだ。」
ということです。南部神楽でも八岐大蛇退治を演じると竜神の験力によって雨を降らせるということが巷間に伝えられている。
動画でどうぞ
