大森神楽「八幡舞」@第42回みちのく神楽大会
さて本日は、第42回みちのく神楽大会から大森神楽で八幡舞です。
その前に大森神楽さんの由来について
「大森神楽は昭和45年7月、当時の衣川村立衣川小学校大森分校教諭の佐々木久雄(直木賞作家、三好京三)氏と当時衣川村の教育長で大原神楽の師匠、小坂盛雄氏が中心となり、分校の児童に神楽を伝授したのが始まりである。その後学校教育と関わりあいながら活動し、児童全員に踊り伝えられてきた。平成10年3月に大森分校が閉校になり、保存会としてスタートした」
とあります。現在の代表は佐藤吉訓さんで、この日も胴を取っておられます。
八幡舞は仲哀天皇と神功皇后の間に生まれた誉田別尊とその兄である品夜別命の舞である。
誉田別尊すなわち応神天皇は母j神功皇后の参観征伐の後に生まれ、諸国をひろく治めたとあるが、それ以上にその後に続く子孫の武士によって武神として祀り上げられたことで有名である。
ということで、幕出唄は
〽 センヤーハー ご祈祷にホ~ 千代のや 御神楽舞い遊ぶほー
誉田別命と品夜別命の二神が四方に矢を放って悪魔を祓う祈祷舞になっている。、
舞方の装束であるが、腰に二本の矢を〆印につがえている。他の神楽組では二本を並べてつがえているのが通例だが、より勇ましい感じになっている。(山伏神楽ではよくありますが)
矢を放つ舞の前に、胴取殿が撥車を披露してくれました。見事です。
そして、舞手自らが応神天皇の本地を語る場面です。当日プログラムに大森神楽さんの神題が載っていましたので転載します。
「八幡大神の御本地をくわしく説き尋ね奉る さんや奉る
父をば仲哀天皇と申し奉る さんや奉る
母をば神功皇后と申す 御妻となって 持たせ給うその子をば
応神天皇八幡大神とは それがしのことを申すなり ヨーホー」
それに返して胴取りが
「八幡大神 弓こそ上手、打ってこそ上手 射てこそ上手
八幡大神 居垣の内に弓を張り、四方矢先に悪魔射落とす」と応える。
最後に四方に矢を打って祓います。
動画でどうぞ
