栗原神楽「屋島合戦」@第42回みちのく神楽大会
さて本日は、第42回みちのく神楽大会から栗原神楽で屋島合戦です。
その前に、栗原神楽さんの由来については定本より
「明治一二年三月三一日、栗原悦之助が神道事務局に神楽の届出し承認を得た文書がある。
岩手県萩荘村市野々の自鏡山山伏神楽の指導を得たといわれている。
大正時代に復活、中断した。昭和五年、栗原の佐藤正吉が指導し再興する。その弟子代表の佐藤左吉に引継がれ現在に至っている。初代庭元栗原悦之助が中断後を再興した。」とあります。
現在の代表者は佐藤敬さんです。
演目の屋島合戦について当日パンフレットより
「一の谷の戦いで勝利した源氏方の大将源義経は、屋島に逃げた平家を追って嵐の中を屋島に乗り込む奇襲をかけます。そこで平家の大将能登守教経と相対します。
義経です
そのとき義経の矢面に立ったのが一騎当千の臣下、佐藤兄弟の兄継信であった。
弟 忠信です
大将同士の打ち合いとなったが、義経危うしと見た継信が能登守教経の前に出て矢面に立つ。
継信が教経の矢を切り捨てるのを見た教経配下の菊王丸が管矢を教経に差し出します。
一の矢、二の矢は刀で払ったものの、教経の管矢に胸板を撃ち抜かれ継信が倒れます。
義経から兄を探すように言われた忠信は、暗闇の中、太刀を杖に探し回りやっとのことで兄を見つけますが、胸を射られ瀕死の状態となっていました。
忠信に義経のところへ運れられて行った継信に、義経や忠信が気を確かに持つよう励ますが、継信は義経と忠信に形見を手渡し、忠信に父母を頼むと言い残し息を引き取るのでした。
そして、義経から兄を手厚く弔うように命じられた忠信が、兄の亡骸を背負い弔いに向かうという場面です。」
動画でどうぞ
