城生野神楽「一の谷小次郎直家先陣争いから矢負いの場」@第32回あやめ祭り神楽大会
さて本日は、第32回あやめ祭り神楽大会から城生野神楽で一の谷小次郎直家先陣争いから矢負いの場です。
その前に、城生野神楽さんの由来について定本より
「嘉永年間(一八四八)富野城生野の富助が岩手県西磐井郡萩荘村市野々、自鏡山の山伏神楽を習得した。後部落の若者達に指導して城生野神楽を創設した。
以来城生野神楽は、山伏神楽の正統を保っているので宮城県北の神楽の総元締である。
初代庭元千葉幸之進、現在の庭元加藤義勝は五代目である。
昭和三六年一一月、築館町の無形文化財に指定されている。」
とあります通り、幕末に自鏡山の法印神楽を習得して以来、明治中期に阿久戸神楽に伝承したのを初めに、栗原地方の十数団体に神楽伝授を行なってきた団体であります。現在の代表は佐藤安美さんです。
演目は一の谷の合戦から、義経軍が鵯越を駆け下りる少し前のこと。
先陣を任された平山判官ですが、それまで大きな勲功もないことに焦りを覚えていた。
そして熊谷次郎直実親子も義経軍から抜け出して先陣を切ろうと一の谷の西木戸口から斬り込もうと出陣します。
熊谷小次郎直家は勇んで敵と相まみえるが、平家の大将悪七兵衛景清の矢に討たれて瀕死の傷を負う。
直家が矢に撃たれたと知った父親の熊谷次郎直実が馬を寄せ近寄った。
直家は矢を抜いてくれろと父直実に訴えます。
しかし直実は、「敵将看視の中で、いずくんぞ自らの息子の矢を抜いておけんや」と豪語し、泣く泣く息子の直家の矢を抜くこと無く声を掛けます。
父の教えを聞いた直家は、己の不明を恥じながら、源氏再興のためと、矢負いの身ながら敵陣へ切り込んでいくのでした。
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