達古袋神楽「お室焼き(瓊瓊杵之尊)」@第32回あやめ祭り神楽大会
さて本日は、第32回あやめ祭り神楽大会から達古袋神楽でお室焼き(瓊瓊杵之尊)です。
その前に、達古袋神楽さんの由来について定本より
「明治二年の火災で記録を失ったので資料はないが伝える所によれば、八幡神社は田村麻呂公の勧請といい、康平五年(一○六二)八月一五日再建の棟札もある。
八幡山常学院は、京都本山派の相模坊が、文明一○年(一四七八)開設し、古くから八幡神社の奉納神楽として法印神楽が舞われて来た。
なお弘化年代(一八四四)に神楽も盛んになり、明治以降には、胆沢地方、宮城県北、栗原郡、玉造郡等にも伝えられた。
明治以前は常学院が宮元となり指導に当ったが、以降の歴代師匠は、明治一一年小野寺伊三郎、明治二○年阿部徳太郎、明治二五年小岩勝蔵、明治三○年小岩利右エ門、小岩彦三郎、大正九年~昭和三八年まで阿部長治、以降阿部孝が指導に当り後継者の養成に当った。」
とあります。現在の代表は小岩恭一さんです。
演目の御室焼とは日本神話で、天孫項々杵尊と木花咲耶姫の中に生れた彦炎出見尊の真偽を問うという内容です。
御室焼といえば、達古袋神楽の地元一関市には延喜式内社である配志和神社(主祭神瓊瓊杵尊)があり、そこの式年祭では御室焼という特殊神事が行われています。
そういった地元にまつわる縁しい演目でもあります。
で、瓊瓊杵尊です。祖母の天照皇大神の命に従って天降ってきて木花咲耶姫と出会います。
木花咲耶姫がひと目瓊瓊杵尊を見ただで懐胎となり男子生みます。
木花咲耶姫が神子を瓊瓊杵尊に差上げようとするものの、瓊瓊杵尊は、一度も出会わないのに我が子懐胎とはふとどきなり、 早々に連れ帰れと姫の使いを帰す。
木花咲耶姫は、まことに瓊瓊杵尊の御子で有るゆえに差し上げると申すも受けられず、言い争いとなり姫は仕方なくその場で自害をなさんとする。
天津児屋根尊が二神の中に立ちてこれを裁く。
火は一天万上の正直なり。この子に火をかけて見て、障りあれば他の者の子なるべし、障り無き時は、瓊瓊杵尊の子なるべしと火にかける。
何の障り無きゆえに瓊瓊杵尊の子なるべし、よって火の中より生まれ給うゆえに名を「彦炎出見尊」 と名付けられ一同めでたく千代の御神楽を舞う。
最後は装束を改めてくずし舞にて舞い納めます。
動画でどうぞ
