蓬田神楽「黒塚」@第32回あやめ祭り神楽大会
さて本日は、第32回あやめ祭り神楽大会から蓬田神楽で黒塚です。
黒塚とは安達ケ原の鬼婆の伝説を元にした演目です。
その前に蓬田神楽の蓬田神楽さんの由来について南部神楽の系譜より
「舞草神社は一時期舞草穴倉地内に社地があった頃、神職が大権院神楽を奉納していた。
当時の神楽の師匠は、穴の倉の佐藤円吉、次いで蓬田大助であった。
明治初期、蓬田一族の氏神天神様に神楽を奉納するため、蓬田大助が庭元となり、東磐井郡長島村南部神楽の流れをくむ赤伏神楽の指導を受け、蓬田神楽を創設した。
初代庭元蓬田大助、二代伊藤寅之助、三代蓬田清吉、四代佐藤松治、五代蓬田稔である。」
とありますが、現在の代表は伊藤一さんです。
さて、演目は「黒塚」です。いわゆる「安達が原の鬼婆」の物語です。能楽の黒塚と同じ内容です。
南部神楽では非常に珍しい演目ですが、村上護郎著「南部神楽」所収の田河津神楽「黒塚舞神楽」や、曾慶神楽の「代々神楽演技本」所収の「黒塚巻」も同様の筋立てとなっていて、東磐井地方で広く演じられていたようです。
内容的には熊野修験の験力と観音信仰を説くものになっているが、やはり中心は「人喰い鬼婆」である。
しかしながら、この話には「岩手」という京の公家の乳母の悲しい物語も付随していて、人間の業と悲哀をも描いている。
さて、蓬田神楽さんの黒塚は、冒頭に奥山に棲む鬼女が、美しい娘の姿で現れ、扇と幣束で一舞します。
鬼女が自らの住まいに戻り、糸を紡いでいると、外に人影が
熊野の那智東光坊の阿闍梨祐慶一行が安達ヶ原を旅している途中に日が暮れ、一軒の家を見つけて一夜の宿を求めた。
鬼女は云う。
「一夜の宿は参らせしが、ご馳走するものがありません。これから山野に行き取ってまいりますが、その間に奥の部屋を覗き見ることを堅く禁じます」と。
しかし、祐慶一行は不審に思って奥の間を覗きます。するとそこには人間の白骨が累々と重なっていたので驚いて宿を飛び出します。
そこへ鬼女が帰ってきます。
变化前の姿
变化後の姿
それに気づいた鬼女は豹変した姿で祐慶に追い縋ってきます。
「見たなー 見たなー」
その後、祐慶一行は、鬼女を折伏させようと数珠を摺り、如意輪観世音菩薩を奉じ経文を唱えます
〽 南無サンチョウヤ 南無サンチョウヤ
祐慶は鬼女を祈り伏せると手厚く葬りました、この鬼女の墓が黒塚ということです。
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