川内神楽「日光権現」@第35回江刺神楽大会
さて本日は、第35回江刺神楽大会から最後の演目、川内神楽で日光権現です。
川内神楽さんの由来について「南部神楽系譜調査報告書」誌によると
明治三九年頃伊藤捨七、佐藤善左エ門の一一人が世話人となり、胆沢郡瀬台野神楽より伝承された羽田鴬沢神楽の金野忠三郎、菅原常之助両師匠を招請し、伊藤金蔵、菊地庄左エ門、伊藤喜兵衛、伊藤庄蔵、伊藤千百治、菊地用作等が指導を受けて、川内神楽を創設した。
とある。その後、藤里横瀬、田原原体、東磐井郡興田市之通、玉里和田の各神楽に指導伝授するとともに戦後は和賀、気仙沼鹿折、桑ヶ崎方面の祭典に招かれ出演したと「胆江地方の神楽」で記されている。
川内地区は水沢、江刺、東磐井の分岐点に位置し芸能の通り道であったようだ。(嘉永、安政年間には鹿踊りや剣舞もあったらしい)
演目ははるか昔の上野下野の国争いの物語です。
上野の国の赤城明神が土地の領民を食い殺すなど悪行を働いたため、下野の国の日光権現がこれを退治に出かけるというものです。
そこへ赤城明神が出て、日光権現と争いになりますが、赤城明神が勝ち、日光権現は山の中へと逃げ込みます。
そこへ日本一の弓の名手と謳われた磐司万三郎が通りかかります。
日光権現は白鹿に身を変えて、磐司万三郎を誘い出し、神通の矢をもって赤城明神を倒してくれと頼みます。
依頼を受けた磐司万三郎が赤城明神を山中に探し出します。
神通の矢で見事に赤城明神を倒します。
幕後ろで面のみをかざして魔物の禍々しいさまを表現するの南部神楽独特の演出です。
日光権現はかねての約束通り、磐司万三郎に日本中の山で自由に狩りをする権利を与えて感謝し、千代の御神楽を共に舞うのでした。
この話は、日本の狩猟民の伝説として全国に敷衍している説話ですが、特に東北のマタギにとっては重要な祖先の話として伝えられてきたようです。
山形県の山寺には磐司と磐三郎の二人の兄弟の物語として伝わり、鹿踊の由来譚としても語り継がれています。
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