城生野神楽「熊谷直実・平敦盛の首取り」@第15回神楽共演石越大会
さて本日は、第15回神楽共演石越大会から城生野神楽で熊谷直実・平敦盛の首取りです。
その前に、城生野神楽さんの由来について定本より
「嘉永年間(一八四八)富野城生野の富助が岩手県西磐井郡萩荘村市野々、自鏡山の山伏神楽を習得した。後部落の若者達に指導して城生野神楽を創設した。
以来城生野神楽は、山伏神楽の正統を保っているので宮城県北の神楽の総元締である。
初代庭元千葉幸之進、現在の庭元加藤義勝は五代目である。
昭和三六年一一月、築館町の無形文化財に指定されている。」
とあります通り、幕末に自鏡山の法印神楽を習得して以来、明治中期に阿久戸神楽に伝承したのを初めに、栗原地方の十数団体に神楽伝授を行なってきた団体であります。現在の代表は佐藤安美さんです。
この日の胴取は千田吏嬉くんです。舞手も若手メンバーでの舞台となりました。
さて、演目は一の谷で敦盛の首を熊谷次郎直実が討ち取る場面です。
一ノ谷合戦で、平家の公達敦盛公を捕らえながら一度逃すとは二心あるに違いなしと、平山季重に見咎められます。
熊谷次郎直実に一度は逃された平敦盛は、再び呼び戻されて己が命運を悟り、和歌を一首詠みながら駒の首先を返します
〽 ほのぼのと 明石が浦の朝霧に 島隠れ行く 舟をしぞ思ふ
一ノ谷合戦首取りの場は能で言えば修羅ものでありますが、南部神楽では「愁嘆(シュウタン)」の部類に入ります。
尚且つ、城生野神楽では敦盛最期の場面で、敦盛が彌陀の浄土に座るようにと念仏を唱える台本になっています。
これは、観衆が物語を鑑賞する一方で、念仏の功徳をなぞりながら神楽の世界にのめり込むという信仰心をも喚起する内容となっている。
故に、この神楽を見ているご年配の中には両手を合わせながら劇舞の進行を固唾を呑んで見つめているという心情になるのだと思います。
最後は熊谷直実が泣く泣く敦盛の首を打ち取ります
そして、最後は熊谷次郎直実が平敦盛の首を我が子小次郎のものの如く、大切にしながら幕に入る。
ここには、敵味方の憎しみなど無い。
動画でどうぞ
