蓬田神楽「橋弁慶」@第15回神楽共演石越大会
さて本日は、第15回神楽共演石越大会から蓬田神楽で橋弁慶です。
蓬田神楽の由来は次のとおり
「舞草神社は一時期舞草穴倉地内に社地があった頃、神職が大権院神楽を奉納していた。
当時の神楽の師匠は、穴の倉の佐藤円吉、次いで蓬田大助であった。
明治初期、蓬田一族の氏神天神様に神楽を奉納するため、蓬田大助が庭元となり、東磐井郡長島村南部神楽の流れをくむ赤伏神楽の指導を受け、蓬田神楽を創設した。
初代庭元蓬田大助、二代伊藤寅之助、三代蓬田清吉、四代佐藤松治、五代蓬田稔である。」
さて橋弁慶ですが、牛若丸と弁慶の出会いの場面として著名であり、南部神楽では義経ものの一話としての位置づけとなっている。
牛若丸です
武蔵坊弁慶です
橋弁慶というタイトルは能楽に元を取っている感じですが、蓬田神楽の筋書きも能楽と同様に牛若丸が夜な夜な出没して千人斬りをするという内容になっています。
弁慶の従者が、五条の橋に化け物のような人斬りが出るので、弁慶に止めるよう進言します。
なお、この筋立ての橋弁慶は蓬田神楽と同じ赤伏神楽の系統である生出神楽でも見ました。
弁慶が五条の橋へ行くと、牛若丸が女装して待ち構えていました。
女だからとやり過ごそうとする弁慶に牛若が斬りかかります。
弁慶は長刀を振るって応戦しますが、身軽な牛若丸に翻弄され、ついに降参します。
弁慶が、どういう人かと問えば、牛若は身分を明かし、二人は主従の誓いを行い、一緒に九条の牛若丸の御所へと向かいます。
通常南部神楽では平泉さして道行きとなっていますが、この辺も能楽の筋立てに従っているのが特徴となっています。
動画でどうぞ
