海上渡御する鹿踊@加茂神社式年大祭2019
さて本日からは、5月3日に斎行されました大船渡市鎮座の加茂神社式年大祭のリポートとなります。
大船渡市大船渡町にある加茂神社の式年五年大祭は4年おきに開催されてきたが、前々回は震災で中止になったため、前回は8年ぶりの開催となった。そして、震災後2回目の開催となる今回は手踊組2組が復活した。
その中から、神輿の海上渡御に供奉する笹崎鹿踊について
船に乗る前に船誉めをあげる
笹崎鹿踊の由来については森口本「岩手県民俗芸能誌」より抜粋
「大船渡市教育研究所編「郷土資料調査」第一集によると、明和五年八月九日、日頃市村坂本沢屋敷の理惣太なる者が陸前本吉郡南方清水川村(現志津川町)中左屋敷の弥惣次という人から七代の相伝を受け、大船渡町笹崎大草嶺家の婿養子となり、初めて同部落に伝えた。
その後同家において七之助、芳蔵、門太夫の四代を経て現在の中立笹崎一三氏(門太夫弟)に及んだという。
わたしの古いノートには本吉方面に出稼ぎに行っていた理惣太に伝授したのは四郎兵衛から七代目の師匠弥惣次だとあるが、この四郎兵衛は伊藤伴内持遠の門下であった。
弥惣次という名は舞川に伝わる巻物の「代々之先生之部」には出ていないが、本吉郡の入谷村の行山躍は同郡の清水川村に伝えられたのであろう。理惣太は相伝を持参して日頃市村坂本沢に婿にきて鹿踊を伝えたのだとも聞いている。
これを書くに当たって念のため笹崎一三氏に問い合わせたところ、坂本沢の理惣太が大船渡村字笹崎の笹崎家(家号は(大草嶺)に婿養子に来て、坂本沢とは別に笹崎鹿踊がおこり、笹崎家以外の中立としては、芳蔵ののち七蔵が幼かったため久作というのが一期踊ったという。現在は一三氏の後をついで日野昭氏が中立をつとめているとのことである。笹崎氏から写しを送って下すった相伝状は次の通りで、やはり弥惣次は四郎兵衛から七代目の師匠であった。」
笹崎鹿踊も先の震災では大きな被害に遭い、装束一式を失ったという。
瓦礫の中から見つかった太鼓2つをはじめ道具を揃えながら復活を進めてきた。
ところで海上渡御に供奉する芸能というと、神楽や権現舞、虎舞がよく見られる風景ですが、ここでは鹿踊も乗船して湾内を踊って回るのが珍しい。(他に念仏剣舞も乗りますが)
動画でどうぞ
