雄勝法印神楽「五矢」@雄勝葉山神社 亥年御開扉大祭
さて本日は、雄勝葉山神社 亥年御開扉大祭から雄勝法印神楽で五矢です。
五矢と素戔嗚尊の関連性について
「大浜葉山神社では法印が当屋となって氏子が集まり、座敷に天照皇大神その他の神号軸を掛け、権現様を安置して、宮司の祝詞奏上の後に、東方朔(一年の作柄を占う)参拝を行い、獅子頭に二人が入り、一戸ごと廻り、法印が同行して棚を祓い春の祈祷を行っている。
一方雄勝地区を中心にして行なわれている春祈祷の行事は華やかである。一月五日(以前は一月八日)がその祭日で、当日は雄勝地区の各浜々から、華やかに飾り立てられた屋台(六地区から四組)が笛、太鼓の囃子に乗って獅子を先頭に新山神社に集合する。宮司による祝詞奏上後、各浜々が一番づつ獅子舞を奉納する。
最後は各浜々が一つになって乱舞の後、それぞれの各浜へ散っていき、忌みごとのあった家をのぞいて一軒々々を舞って行く。
このとき舞い終った家々には、「蘇民将来子孫門戸」と刷られたお札が配られる」
とある。そういったことからも五矢によって祓い鎮めるという意味合いを見いだせる。
閑話休題
件の素戔嗚尊である
再拝掛け巻も畏き我が国始まって後、二柱の御神は国津主を生まんとて―女三男を生み給う。三男目の素箋嗚尊これなり
今貞出て神談儀 「再拝再拝と敬って申す。夫、我が君素箋嗚尊の臣に今貞とは自らのことなり。夫、我が君は、神の御代より以来、根の国、他国まけいれきましましで久しく経歴座けるに、ある時、日暮れて巨旦に宿を乞わせ給えば、不仁にして宿貸し奉らず
。
蘇民は貧しけれども宿貸し奉る。粟殻を敷くさぐさき粟の飯を奉れば、天王(尊)大いに喜び種々の教えをなし給う。蘇民将来子孫門戸と書き門に立て置けば疫摘の難をのがるべし。又境をしでみなつき越さんと思わば、榊に垂を掛け道評して送るべし。又、六月に至って青馬をつくり田畠に繋ぎ置けば、天王乗り回って作物の種毒を祓い給う。今の御代まで伝え来った神代の故事なり
かくて素戔嗚尊は今貞より弓矢を受けて祈祷
この所に来りまじきものは鬼神、魔王、飢渇の難、疫競の難、自らが矢―つにて射祓ったり。矢壺印したか今貞
今貞「応、速に執って屹っと験て参りたり。我が君は御弓の疲れおわすらん、神酒―つ勧めばやと存じ候。」
素戔嗚尊 「この弓矢 何その弓矢と人問わば 悪魔を祓う桑の弓と矢」
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