富沢神楽「法童丸母子対面の場」@第49回岩手県南宮城県北神楽大会
さて本日は、第49回岩手県南宮城県北神楽大会から富沢神楽で法童丸母子対面の場です。
その前に、富沢神楽さんの由来については定本から
「明治二○年頃、蕎麦沢の佐藤林之丞が庭元となり、西磐井郡金沢村飯倉神楽の小野寺忠七師匠(飯倉から真滝小林に婿養子に来た人)を招き、部落の若者達に神楽の指導を行ない富沢神楽を創設した。
明治時代、初期の人達が二期、三期と舞人の養成を図ったが大正初期に絶えた。
昭和三年、佐藤民治が発起人となり佐藤甚之助が庭元となり、飯倉神楽より高橋衛師匠を招き佐藤民治と共に神楽の指導を行ない、富沢神楽を再興した。
初代庭元佐藤林之丞、二代三代佐藤甚之助、四代佐藤利男、五代千葉清人、六代佐藤登である。」
とありますが、現代の代表者は佐藤徹さんです。
さて、演目は心ならずも敦盛を討った熊谷次郎直実が敦盛を葬った後出家して蓮生坊と名乗った。
蓮生坊は法然上人の弟子となり、加茂の明神下り松の下で拾った敦盛の子法童丸を七歳になるまで育て上げた。
ある日、法童丸があまりに母を恋しがるので母親を探しに加茂の明神に行き、法然上人が参拝する人々に呼びかけます。
そこへ玉織姫が進み出て名乗りをあげます。
めでたく対面となったが、母玉織姫は法童丸の実の父親は蓮生坊に討たれたのだと告げると法童丸は驚き悩んだ末に、親の仇を討ちにかかります。
蓮生坊に刀を向けた刹那、扇で受け止め法童丸を説諭せんと畳み掛けるように呼びかけます。
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