川東神楽「安宅の関」@第29回ころもがわ神楽まつり
さて本日は、第29回ころもがわ神楽まつりから川東神楽で安宅の関です。
その前に川東神楽さんの由来を定本から
「古くは、石畑神楽として組織されていたがその後全く消滅した。
大正一四年、川内神楽の高橋栄助師匠の指導で、御神楽とくづしを習い、更に平泉町戸河内の菅原慶吉、川坂賢三郎の両師匠の指導により、川東神楽を組織し発表会を開催した。
戦後一時中断していたが、昭和四八年先輩達の指導により復活し現在に至っている。
大正一四年頃の庭元は小野寺滑内、戦後は千田信治、現在の庭元は千田精である。」
とありますが、現代の代表は千葉庄正司さんです。
兄源頼朝により全国に追討令を出され、
〽 これが血を分けた兄弟の仕打ちか
と嘆き、源義経主従が奥州平泉をさして山伏姿に身を変えて落ち延びてゆきます。
弁慶は笈を背負って登場ですが、装束が大変凝っています。
加賀国、安宅関に近い山道にさしかかると関守の家来が現れて呼び止めます
関所では関守の富樫左衛門泰家の検分にあいます。
関守 冨樫に詮議をされ、苦し紛れに東大寺建立の空勧進帳を読み上げるシーン。
ここで拍手が起こりますが、この後なおも疑う冨樫が山伏の心得や秘密の呪文について問い質すが、弁慶は淀みなく答えるという名場面がありますが、いわゆる山伏問答というシーンです。セリフが大変素晴らしいですね。
義経主従の正体を見破っていた冨樫が武士の情けで通す場面では会場から大きな拍手が、
「天晴れなるぞよ弁慶殿。彼も人なら我も人、我も武士なら彼も武士、情けは人の為ならずとか。
判官殿に縄を掛けるのは易けれど、武士の情けの掛けどころ」
「いかに大法師殿、しばし詮議をいたせしが、まさに東大寺の勧進帳に相違なし、これよりは長々の旅路なれば、無事に落ちたっていざさらば」
ここは衣川である。まさに物語の舞台であるだけにより感情移入できるというものです。
無事に関を通り抜けた義経と弁慶ですが、源氏再興を思いながらも命を落とした家来衆に思いを馳せ、平泉高館へと急ぎます。
動画でどうぞ
