清水田神楽「石童丸、田子の浦の場」@第39回尾松神楽鑑賞会
さて本日は、第39回尾松神楽鑑賞会から清水田神楽で「石童丸、田子の浦の場」です。
石童丸ものでこの演目は初めて見ます。
清水田神楽さんの由来について
「明治中期、岩手県西磐井郡赤荻村笹谷の南部神楽流笹谷神楽の指導を受け、鈴木幸助らが清水神楽を創設した。
その後中断していたが当時神楽の舞手であった千葉春雄が師匠となり、若い人達に指導をし、昭和四七年正月再興し今日に至っている。」
ということです。現在の代表者は宮崎正喜さんです。
さて演目の石童丸、田子の浦の場は、父親を探す旅の序章とでもいえる一節のようです。
平安時代末期、筑紫の国領主の加藤左衛門繁氏|ま、妻桂子と平穏な生活を送っていたが、父のi日友の遺児千里を引き取ります。ある時表面は伸睦まじい桂子と千里の本心を見抜いた繁氏は、自分の罪深さに驚き家も地位も捨て、出家のため京都に上りそれから高野山に登り苅萱道心と称し修行の道に入つた。
繁氏の出家直後播磨の国大山寺に逃れた千里はそこで男児を出産し、名を繁氏の幼名をとつて石童丸と名付けた。
石童丸です。
石童丸が13歳となりなぜ自分には父上がいないのかと不思議に思うようになり、母に聞くため空仁和尚に書置きし母の元に行きその訳を母から闘かされます。
父は武門の家柄のため、戦で何処にいるか分からず、便りもないない事を告げられます。
自分で父を探そうと旅に出た石童丸が、諸国を尋ね歩き豊前の国の田子の浦に着くとそこで人買いの悪人に襲われます。
危ういところを杉ノ森太郎隆正に助けられ、隆正と共に父を探しに道行きとなります。
筑紫の国から中ノ国行きの船に乗るが、突然の嵐にあい命がけで中ノ国に向うという場面。
動画でどうぞ
