徳田田植え踊り@中東北田植え踊り大会
さて本日は、中東北田植え踊り大会から最後の演目で徳田田植え踊りです。
由来については当日パンフレットより
「明治初期より徳田地区の住民が、宮城県の涌谷、米川地方に田植えの出稼ぎに行き、豊作と厄払いの願いを込めて踊ってい
た田植え踊りを覚え、それを徳田地区に伝えたものと言われています。
当時は、正月に豊作と厄払いの願いを込めて各家々を回りましたが、昭和30年以降は自然と消え、その後昭和44年頃、徳田青年会の有志に受け継がれ、また昭和53年頃、八沢青年会の有志にも伝承されました。
徳田地区の郷土芸能を末永く伝えていくためには、子どもたちにも郷土を理解させる意味で教えておく必要があり、昭和59年から少年少女教室の実践活動として、徳田小学校の児童に伝承することになりました。
その後、昭和61年4月21日「徳田田植え踊り保存会」が結成され、小学校、PTA、自治会の協力・援助を受けて主体的な伝承活動を続け現在に至っています。」
ということです。
この米川地区での田植え踊りといえばこの日の最初に出演した狼河原田植え踊りが代表的かと思いますが、この狼河原田植え踊りは胆沢地方(奥州市胆沢区)から羯鼓太鼓の田植え踊りが伝わったと聞きます。
(ちなみに、この狼河原に近い西上沢というところには、奥州キリシタンの中心人物で、異教徒禁令に従わなかった後藤寿庵の墓碑が発見されているというのだから、田植え踊りの伝承と縁の浅からぬ話に思えます。)
徳田田植えさんの特徴は、ステージで演じる際の田の神祭りです。
戦後途絶えていた期間があったが、昭和52年に八沢青年会が有志を募って復活させ、徳田地域で継承されてきたということです。
現在残っている演目は次の通り。(藤沢町史より)
すりごみ、十七、うすがやから、年の初め、かまくら、朝霧、あさはか、草刈、そうりな十七、どこより、はね十七、夕暮れ、とーふんとや、向山、おいとま
踊りの合間合間に二人の弥十郎が口上を上げて、次の演目を紹介します。
〽 ヤンドヤーハイ お正月は おお目出度いや おお門松を迎えた
ヤンドヤーハイ 年の初め おお目出度いや おお門松を迎えた
ヤンドヤーハイ 白金のまるた桶で 福の水を迎えた
ヤンドヤーハイ なおしたりや うるしの上になおしたりや
ヤンドヤーハイ お祝いは しいげくけれど おつぼの松はそよめく
ヤンドヤーハイ 羽衣の袖の下で 少し名残を惜しんだ
ということで、今回の田植踊大会は藤沢文化センターの開館20周年記念事業としておこなわれましたが、こうして宮城岩手の田植踊を並べてみただけでも伝承芸能の多様さと各地域の特徴がよくわかる取り組みとなりました。
できうることなら今後も継続して東北各県の田植踊を集積して比較鑑賞する場となれば、継承者にとっても励みになるのではないでしょうか。
動画でどうぞ
