下内野田植踊り「お正月 他」@中東北田植え踊り大会
さて本日は、中東北田植え踊り大会から下内野田植踊りでお正月 他です。
その前に由来について当日パンフレットより
「「かじかの里下内野」は、岩手県一関市大東町大原の中心部から清流「砂鉄川」沿いに4キロほど上流に位置する典型的な中山間地域です。
「下内野田植踊り」は、昭和25年庭元勝部肇氏の父「榮之丞」氏が42歳の時に、年祝いと地域の青年会活動として宮城県気仙沼市八瀬から師を仰ぎ始まったのがその起源です。
この間、中断を余儀なくされた時期もありましたが、平成12年の「郷土芸能伝承等交流施設。下内野ふれあい会館」を建設、本施設を拠点に今日まで保存伝承されています。
これまでの活動の歴史を振り返ると、昭和61年「平泉中尊寺生誕八百年祭」での中尊寺本堂での演舞、平成7年の日本テレビでの取材。全国放送などマスコミの取材も多く、また、平成13年には全ての踊りを再現したビデオの作成、翌平成14年にはこれまでの歴史や活動の成果をまとめた「下内野田植え踊り」の発刊などにも取り組んでおります。
現在は地域外の若者の参加も得ながら、361年祭を迎える大東大原水かけ祭りを代表する郷土芸能として内外から脚光を浴びています。」
ということです。
こちらの伝承元は気仙沼の八瀬となりますが、復活時には廿一田植踊の指導を受けたとのことです。
詳細については平成14年発行の保存会記念誌が参考になります。
演目としてはお正月、年初、朝はか、君様、夕暮れ、おいどまです。
しかしながら、この日は演目の上演だけでなく、還暦祝の家に庭借りをして舞い込む様を再現しました。
こういった祭りの現場を再現するステージ構成は非常に大切なので、他の芸能発表会でも行ってほしいところです。
踊りの役どころは大八次郎(おおやんずろう)と小八次郎(こやんずろう)の二人が祝言を口上しつつ次なる演目を呼びかけます
早乙女は男衆が6~7人程で羯鼓太鼓を打ちながら踊ります。
ところで、この早乙女は昔は少女だったと昭和6年発行の大原町誌に書いてありましたので紹介します。
「田植踊と称して豊年を祈る主意に出つる俗曲なり。年の始めに行わる。少女七人(大原地方にては十七乃至二十歳前後)の隊にして、その長たる者は大の男也、これを彌ン十郎と称す。少女は花模様の衣服を着け、頭を飾り一名毎に小太鼓を携え招かるる家にて踊る。(ヤンドドヤアハイお正月は御目出度いや御門松を迎ひた)などと唄う囃子のみ多し。往々男児隊もあり」
とある。衣装を着た女の子が踊るとなると仙台田植に近い形だったのかと推量される。
さて、この日は数々の趣向が凝らされていて、還暦の主から祝い酒を受けてお返しの踊りも披露しました。
この御花御礼の「君様」は大原水掛けまつりの門付けでも中々お目にかかれない場面です。祭りの臨場感もたっぷりです。
本番の祭りでは招かれた家で一踊りした後は酒や煮しめ等をごちそうになってあれやこれやの話かだりをして盛り上がるのが常です。
この祭りの門付けについて書き始めるときりがないので平成26年の様子を参考にしてください。
⇒豊年田植踊・仮装手踊 @ 大原水かけ祭
門付けの最後は「おいどま」を踊って次の家へと行きます。
動画でどうぞ
