本田安次が見た芸能2 大付内の神楽
さて本日は続き物で、本田安次が見た芸能2大付内の神楽です。
「旅と伝説」に寄稿した岩手の旅では冒頭に早池峰へと題して早池峰神楽を探訪した経過が記されている。
盆の16日に石鳥谷駅を降りて乗り合いバスに揺られて早池峰山中腹の岳集落に着き早池峰祭を詳しく調べ、神楽も古老から話を聞くなどしたとある。
下記画像は2006年8月1日の早池峰神社例大祭にて撮影
ここで本田安次は祭り見物の傍らで岳神楽の古老や神社の神職より資料を借り受けて記録したことが記されている。
それが後に「山伏神楽・番楽」に代表される数々の民俗芸能書籍にと著されることになる。
さて、この寄稿文の中で大付内の神楽については以下のように詳述している
「(前略)翌十九日、早朝、岳をたって日盛りを大付內に向ふ。
岳は五拍子、此處のは七拍子と稱し,舞にも若干の相違があるといふ。此処も戸数十五軒程の山澤の部落で山伏の後らしい。
長享11年(西紀一四八八)に、京都加茂神社に神樂を奉納し、 資格をとったといふ記錄ある由。
,式舞表裏に、既に岳とは少少の出入があった。
テクストは人に貸して、返されないでゐるといふ。
今、部落の人が、冬期の副業に、木彫の神樂人形の製作を思ひ立つてゐる。
縣廳の美術學校出の某氏も大へん是に賛成し、スケッチを申出られてゐる。
或はそのうち特に、大迫の小學校など拜借して,實演の會を催すかも知れないと いふ。
訪ねて行った庭元の佐々木氏は、大迫の小學校に出て居られる方である,今のうちに殘つてゐる曲の全部を整理し、どうにか記錄にまとめてみたいと申出ると、快く諾つてくれられた。
實演と相俟って、出來るだけ精しいト書をテクストに附してみたい。岳との異同も明にしてみたい。」
こうして本田安次が山伏神楽の世界に分け入ったことがこの一章でよく理解できる。
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