奥山行山流餅田鹿踊「回向、礼庭、投げ草」@江刺民俗芸能フェスティバル2018
さて本日は、江刺民俗芸能フェスティバル2018から最後の演目、奥山行山流餅田鹿踊で回向、礼庭そして御花を受けての投げ草です。
奥山行上流餅田鹿踊の由来について
「享保12年(1727年)8月16日江戸上屋敷にて御出入司大町清九郎様の御取持にて、御上覧の栄を賜り「智補院養老六字踊」と仰せ付けられ国元で何時なりとも稽古をするようにと前幕に九曜の紋、日の丸の開扇、竹に雀、袴の後口にカニ牡丹、前口に地車の御紋を染め分け、御出入司大町清九郎を通じ郡奉行、代官、大肝入と伝授伝承後、大肝入鳥畠兵太夫どのより岩手県東磐井郡東山前田野村肝入善右衛に伝承、宝暦5年7月江刺郡鴨沢村の甚左衛門に伝承、更に明治44年10月に鴨沢六代目千葉氏より江刺郡岩谷堂町餅田下苗代沢地区(現奥州市江刺区岩谷堂下苗代沢)に伝授伝承され今日に至っている(秘伝巻物より)。
なお、現称されている「奥山行上流」の命名の詳細は判っていない。秘伝巻物の「鹿踊定書之事」には「奥山流鹿踊」の朱印がある。
前幕の掛梯子最上部に五三の桐の御紋の染分けは、大正6年岩手県公会堂において皇太子殿下(昭和天皇)の御台覧の栄を賜るなどがあり、大正8年4月、宮内庁より装束の前幕九曜の星の上段にご紋染分けを御許しになった旨、岩手県より通達になり、同年7月染め替えしてより現在に至っている。」
とあります。現在の代表は佐藤則明さんです。
この日は、礼庭の前後に日頃あまり披露されることのない儀礼的な墓回向と投げ草が組み入れられました。
餅田鹿踊は8月13日の旧盆には地元の光明寺にて回向供養を上げるのが通例となっているという。
中立と牝鹿の前幕において、井桁九曜紋の上に拝賜の五三の桐紋、横幕に蝶文が入るのが餅田の特徴
餅田では礼庭を一番庭とも称し、後庭を二番庭としている。
最後に儀礼的な投げ草です。
〽 おそれながらも あげていただく
この日の演目は、盆の門付けで位牌を庭先に出した家に入込み、位牌に回向を上げて一舞した後に祝儀をいただいて引き上げるといった一連の流れを再現したものといえます。こういったステージ構成も大事ですね。
動画でどうぞ
