下猿沢伊勢神楽「お降り、曲、お釈迦様、お登り」@岩手の大地に舞う
さて本日は、岩手の大地に舞うから下猿沢伊勢神楽でお降り、曲、お釈迦様、お登りです。
下猿沢伊勢神楽の由来について
「伊勢神楽の由来についての古い記録等はなく、口伝として、元文年間(1736-41)、鳥海村(旧大東町)丑石集落の三兄弟が、西匡六十六ヶ所を巡歴の途上、駿河の国で川止めに遭った折、同地にて秋祭りのため数名が集まり、笛の音に拍子を合わせ、勇壮に大鼓を打ち鳴らし舞い踊る姿を見て大いに興味を持ち、これぞ唯一の土産なりと数曲を体得して帰る。
帰省後、土地の住民にこれを普及し、伊勢神楽と名付け、長い間祝事に演ずるなどして発展してきたが、世の乱れと共に影をひそめ途絶えてしまったという。
下猿沢に伝わったのは、今から180年程前、沖田の堀合集落から猿沢の岩ノ下ヘ婿養子に来た忠吉さんが、小向・板倉の若者を誘い、村祭りに舞ったのが始まりと伝えられる。
当時、伊勢参りは多くのお金と日数がかかり、また命がけの旅でもあり、なかなか行けず、多くの人々は、伊勢の二見ヶ浦から登る朝日を太鼓に見立て、アヤ(花バチ)に祈りを込めて、この地から伊勢神宮を遥拝して舞ったのが始まりとも伝えられている。」
ということです。
下の写真は2012年の猿沢神社秋季例祭で神輿渡御に供奉する下猿沢伊勢神楽です。
大東町の民俗芸能(大東町教育委員会 1990年刊)によると、伊勢神楽は東磐井地方に広く分布し、大原の内野、上大原、大東町の下猿沢、渋民、丑石、曽慶、千厩の奥玉等にあった。
いずれも伊勢参りの際に会得したという創始を伝え、山車に載せた太鼓を綾撥で列をなして打ち鳴らすという打ち囃子の形態です。
下猿沢伊勢神楽の伝える演目は、「お登り」「お降り」「曲」「宇平殿、茂平殿、平作殿」「一拍子」「お釈迦様」「矢車」「打ち止め」となっています。
舞手は岡崎の宿で女中さんの着物を借りて着た際の喜びを表して女物の神楽衣装を身に着けて舞います。
そして、舞手のリーダー役としてササラスリが道化をしながら舞手の列を周りながら盛り上げますが、祭りの際には見物客に面白おかしく踊ります。
伊勢神楽の見どころは、「曲」での撥投げでしょうか。
輪踊りをしながら、全員で撥を高々と放り投げますが、伊勢の二見ヶ浦に朝日の光が差し込む瞬間の喜びに溢れている感じがよく出ています。それとともに、伊勢神楽の放下の芸にも通じる感じがします。
動画でどうぞ
