豊沢大念仏剣舞「入羽、17拍子 他」@花巻市青少年郷土芸能フェスティバル
さて本日は、花巻市青少年郷土芸能フェスティバルから豊沢大念仏剣舞で入羽、17拍子、27拍子、37拍子、中の入羽、7拍子、引羽です。
由来については岩手日報社刊いわての郷土芸能より抜粋
「弘安三年(1280)一遍上人の弟子であった稗貫郡石鳥谷町光林寺の初代和尚宿阿上人が、熊野大権現の夢のお告げで豊沢に上り阿弥陀如来像を見つけた。このとき地元の木こりに仏道を説き、一遍上人が始めた大念仏剣舞を伝授したのが始まりと言われる」ということですが、その集落が豊沢ダムの建設により移転離散を余儀なくされたが、移転18年後に結いの精神で復活したという。
大念仏につきものの灯籠ですが品格があります。
踊り手は刀や唐団扇、ササラ、それに先導役のツボケを持った二人。
囃子の中心は大念仏だけに太鼓が需要な位置を占める。
ところで豊沢大念仏の復活についていわての郷土芸能にはこう紹介している
「(豊沢ダムの建設に伴って)湖底に沈むことが決まって昭和27年から一戸また一戸と祖先の地を離れていった。その前に集落約300人で離散会を開いた。当時の集落の人たちは乳児を除けば全員が大念仏を踊ることができた。離散会は最後には大念仏の群舞となった。泣きながら踊る人。踊りの輪から抜け出し広場の隅で肩を震わせて泣き伏す人がいた。
昭和45年8月移転後初めての再開が実現した時は、皆が笛や太鼓を持ってきて、会が進むにつれ大念仏剣舞が踊られた。踊っているうちに湖底に沈んだ集落の思い出が蘇り、その席で豊沢会という親交・芸能保存団体の発足が決まった」
ということです。
東日本大震災でもとの居住地に住めなくなった人たちが民俗芸能を継続するために再び地域コミュニティーをつないだという話はよく聞かれます。
民俗芸能は単なるダンスパフォーマンスではなく信仰や地域連帯の絆の役目があるのだということがよくわかります。
この日の跳ね胴を叩いているのは高校生女子です。
豊沢集落移転から何代目になるのかは存じませんが、こうして継承していくことは先人の努力の賜物といえましょう。
動画でどうぞ
