皆白行山流三ヶ尻鹿踊「牝鹿かくし」@第38回金ケ崎町郷土芸能発表大会
さて本日は、第38回金ケ崎町郷土芸能発表大会から皆白行山流三ヶ尻鹿踊で牝鹿かくしです。
その前に三ヶ尻鹿踊の由来について、
慶安2年7月に、駿河の飛鳥川常利が富士山麓で遊ぶ鹿を見て始めたという鹿踊を、三つの流派に分けて伝授したという。
すなわち、麓行山の踊りを小川利春に、流行山の踊りを青田利久に、そして源行山の踊りを石亀利具に伝授した。
その後、元禄初期に仙台領本吉郡水戸部村の伊藤伴内持遠が行山流を広く伝授し、その弟子・入谷村の四郎兵衛から登米郡中田町の治三郎に伝授され、以後、上胆沢郡上野村徳岡-上胆沢郡佐野村、そして七代目の師匠である胆沢郡八幡村(水沢区佐倉河)の万之助によって文政9年に三ケ尻田中屋敷の卯兵衛に伝授された。
とあります。現在の代表は羽階勝昭さんです。
ここも中立の流しには五穀成就と記されていて、豊年踊りの意義も機能として持ち合わせている。
そもそも、行山流でありながら「皆白」という名称がついているのは何故かということ。
これについては「皆白仰参躍由来之巻」にこう記されているという
元祖四郎兵衛、先年御上様へ召し出され候ことは・・・中略・・・
寶歴元年七月に御赦免つかまつって御国に帰って藩内に指南し人数取り揃え躍り十六日に
「御上欄に入れ奉り候ところ、まずもって幕の紋 夕顔の花を付け候かと。
御上様よりお尋ね遊ばされる所、夕顔の花つけ候段申し上げ候らえばこれよりは九曜星皆白につけ候、今後代々皆白仰山一流稽古に励み 云々」
とある。
つまり、九曜紋は並べて白くすべしということだが、その真意は不明である。
保持する演目には、礼舞として先庭と後庭があり、その後に役踊りが続くが、この雌獅子隠しはその一つ。
この日はステージがちょっと狭かったのですが、雌鹿をめぐる激しい闘いが迫力ある舞でした。
動画でどうぞ
