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2018.11.20 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ田植踊り

上幅庭田植踊「入込~夕暮れ」@第13回奥州市郷土芸能の祭典

さて本日は、第13回奥州市郷土芸能の祭典から上幅庭田植踊で入込~夕暮れです。

由来については水沢市教育委員会篇「無形文化財保存記録集 2 」から抜粋します。

「松本市治氏からの間き取りによれば、「語り伝えでは、今から七三〇年前(弘長二年)この庭田植踊を掃部長者に見せたところが、ここの『田植っこ』は他所の田植っこと違って、「めでためでた」で踊って入って来るのが大変良いということで、一番の折紙をつけられ、それを誇りにして今迄踊り伝え、継承されてきたということです。ただ、どこから入つてきて、誰が始めたかなどということはわからない。高山掃部長者は、何せここの地元だから、それにくっ付けてるんでしょう」ということで、伝書、文書類は一切残っていない。」とのことでえす。

それはさておき、いわゆる胆沢型の庭田植えで、踊り手は奴及び羯鼓と進行役に杁摺・弥十郎が入り、囃子方は太鼓に歌揚げの構成です。

伝承は昭和16年に男性だけの踊組が一度絶えて、昭和31年に上幅の女性たちが松本初太郎氏と渡辺勝治郎氏の指導で復活し、その後しばらく続いたが平成18年から3年の間途絶えた。



そして、平成21年に現代表の松本寛章さんが20~30代の同級生ら十数人に参加を呼び掛け、再度復活させたということです。


踊を取り仕切る役の杁摺と弥十郎です

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この日の演目は、入込から朝はか、ひるしひき、つんばくら、米搗き、お蔵納め、鎌倉節、草刈り節、夕暮れでしたが、他の胆沢の田植踊組と同様です。

奴です。衣装の背中には入梅と大きい文字で染め抜かれ、日照りなどないようにとの豊作祈願が込められています。

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羯鼓です。

085IMG_6937.jpg

この踊り組は正月以降に「つりはり」といって踊組の親戚(いどし)宅を回って歩くのだが、踊り組は総勢20名ほどになり、招いた家では踊組の人々に餅や酒やご祝儀を出さねばならなかったため「庭田植はいどし(親戚)泣かせ」と言われた。
また、小正月になれば「餅の晩」といって15,16,17日の3日続けて部落内をカセドリをして歩いたともいうが今は行われていない。

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動画でどうぞ



テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2018.11.20 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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