館下神楽「一ノ谷敦盛首取りの場」@これはりの里神楽伝承まつり
さて本日は、これはりの里神楽伝承まつりから館下神楽で一ノ谷敦盛首取りの場です。
その前に館下神楽さんの由来について
「昭和五三年四月、田中安雄が庭元となり神楽愛好者数人が、志波姫の刈敷神楽佐藤典雄師匠の指導を受け、舘下神楽を創設した。刈敷神楽は、栗駒町栗原神楽の佐藤正吉師匠の指導により復活したという。
初代庭元田中安雄、二代目は曽根英寿である。」
保持する演目で代表的なのは御所の五郎丸陣屋巡りの場、法童丸庭園の場、安倍保名一代記 等となっています。
現在の代表者は柳澤良夫さんです。
演目について
「平敦盛 花の16歳、一ノ谷の戦いに敗れ四国屋島に向かう途中、青葉の苗と家宝の巻物を忘れ、取りに戻り、その間に味方の舟に乗り遅れてしまう。
そこに源氏の武将熊谷直実に呼び止められ戦うが、熊谷に組み伏せられてしまう。
熊谷は敦盛と名を聞き、我子小次郎直家と同世代、父の平常盛公への思いで余りにも不憫と思い逃し助けてやるが
致し方なく熊谷は敦盛公を再び呼び戻し首請いをするのである。
敦盛は和歌を詠じつつ現れます
〽 ほのぼのと 明石が浦の朝霧に 島影ゆく 舟をしぞ思ふ
駒を進めし後山 ただ波もろともに 戻れ戻れとの 声がする
熊谷が敦盛に思い残すことは無いかと問うと、妻と身ごもっている子が気がかりなので、愛用の青葉の笛を渡してほしいと頼みます。
観念した敦盛が彌陀の浄土に座れるようにと、四方に祈ります。
そして泣く泣く熊谷次郎直実が敦盛の首を落とします。
直実は、致し方なく平山判官に敦盛の首を差し出し、逆心無いことの証を立てます。
しかるに敦盛の首を抱えながら、自ら出家してその菩提を弔うことを誓うのでした。
動画でどうぞ
