金津流野手崎獅子躍「本式禮庭」@第三代相伝式
さて本日は、10月7日に奥州市江刺梁川で行われた金津流野手崎獅子躍の第三代相伝式のようすについてです。
その前に、金津流野手崎鹿踊さんの由来について「えさし鹿踊図鑑」より
「梁川地区青年会有志が昭和46年に金津流梁川獅子躍の庭元で第八代中立であった平野重男氏に入門し、昭和56年に踊りの一切を相伝され、梁川金津流獅子躍と称して活動してきた。平成23年に金津流野手崎獅子躍と改称し奥州市指定無形文化財となっています。」
ということです。
初代師匠菊池司、二代師匠高橋誠から三代中立中川優真へと引き継がれる儀式が伝書に則って厳粛に行われました。
四門の上の櫓には供物と獅子頭が据えられて、ここで神官らが神事を行います。
師匠たちが四門の上で神事を行う間は門人たちは獅子頭を付けずにかしずいています。
ところで、師匠たちは四門へは梯子を登って上がりますが、上での神事が始まる前に梯子は外されます。
つまり四門の上(師匠)と下(門人)の間は行き来することができない、恰も彼岸と此岸を隔てたかのような様です。
師匠たちは神であり仏でもあるのかもしれません。それが四門即ち密教の曼荼羅に配された東の発心門、南の修行門、西の菩提門、北の涅槃門の上での儀式の意味するところかと思います。
師匠から装束を拝領すると門人たちは三光之儀を行った後に四門潜りへと進みます。
四節の歌
〽 (発心門)春三月 残れし雪を踏み初めて 四節の庭と 是を申すか
(修行門)夏三月 出し青葉を踏み初めて 四節の庭と 是を申すか
(菩提門)秋三月 出し稲穂を取り上げて 四節の庭と 是を申すか
(涅槃門)冬三月 降りし雪をも踏み初めて 四節の庭と 是を申すか
最後に師匠から伝授書を受けると本式禮庭です。
中立が腰に刺している日の丸の旗について当日パンフレットより
「腰指旗といい、寛政末年に伊達藩松山次橋村の踊組が、九代藩主伊達周宗から腰指小旗の使用の許可を受け、その後享和元年(1801)に次橋村から石関獅子躍へ伝授された。野手崎獅子躍では平成30年7月に石関獅子躍より腰指旗免之事を巻物にて伝授され、この度、初の披露になります。」
ということです。
本式禮庭は踊りの一切を省略することなく正式に行うものという。
この跡に場所を移して第三代の供養碑除幕式となりますが、それは明日ということで。
動画でどうぞ
