富沢神楽「大蛇退治」@平泉神楽祭
さて本日は、平泉神楽祭から富沢神楽で大蛇退治です。
その前に、富沢神楽さんの由来については定本から
「明治二○年頃、蕎麦沢の佐藤林之丞が庭元となり、西磐井郡金沢村飯倉神楽の小野寺忠七師匠(飯倉から真滝小林に婿養子に来た人)を招き、部落の若者達に神楽の指導を行ない富沢神楽を創設した。
明治時代、初期の人達が二期、三期と舞人の養成を図ったが大正初期に絶えた。
昭和三年、佐藤民治が発起人となり佐藤甚之助が庭元となり、飯倉神楽より高橋衛師匠を招き佐藤民治と共に神楽の指導を行ない、富沢神楽を再興した。
初代庭元佐藤林之丞、二代三代佐藤甚之助、四代佐藤利男、五代千葉清人、六代佐藤登である。」
とありますが、現代の代表者は佐藤徹さんです
さて大蛇退治です。
この日の天気予報では夕方から雨模様ということでしたが、夕方からは高千穂の夜神楽が始まるので降られると困ります。
南部神楽のジンクスでは大蛇切りをやると雨が降るということでしたので、なんとか降らないように祈るばかり。
しかしながら富沢神楽さんの大蛇退治も見たい所というかんじでした。
で、足名椎が法印神楽のツケの如く大蛇退治の因果を説きます。
そこへ手名椎と稲田姫が出て、大蛇の身御供になることを悲しみます。
足名椎、手名椎が中々稲田姫を身御供に出そうとしないので、道化支度の村人が早く出せと迫ります。
そこへ素戔嗚尊が登場し、大蛇退治を引き受けるから八つの酒樽に毒酒を満たしておけと命じます。
八岐大蛇と素戔嗚尊の激しい戦いとなります
で、見事に首を討ち落とし、血しぶきが舞い散った所で客席も大喝采です。
素戔嗚尊は 「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を」と歌って稲田姫との婚儀を祝います。
神楽が終わった後、富沢神楽さんの大サービス。
大蛇の毒酒(?)を観客の皆さんにお振る舞い。
これも神楽上演の昔ながらの光景です。
動画でどうぞ
