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2018.09.23 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

うぐいす沢神楽「御神楽」@高麗八幡神社秋季例祭

さて本日は、高麗八幡神社秋季例祭からうぐいす沢神楽で御神楽です。

うぐいす沢神楽さんの由来について「瀬台野系神楽口唱歌誌」他から

「明治26年8月12日鎮座山神神社奉納神楽として創設された。その後第四代まで続いたが継続することが困難となり、昭和13年に神楽供養碑を建立して活動休止となる。
その背景には時代の趨勢で、舞台手踊や新派劇団の組織と戦争態勢になったため活動が困難になったということです。
昭和63年、地域民から復活の声が高まり川内神楽保存会3代目師匠の指導を得て復活したが、舞手が高齢化して演目も限られたものとなった。
平成8年に地域の若者を募り稽古をすすめ、平成12年に舞台披露の伝承式典を開催し、幕神楽を充実して今日に至る。
初代座元佐藤清三郎、二代佐藤清左衛門、三代佐藤清次郎、四代今野武之進」
ということで、現在の代表者は佐藤満雄さんです。




ところで、この高麗八幡神社は、小さいながらも旧水沢藩にとっては非常に大事なお社でした。
というのも、水沢藩主留守政景が主君である豊臣秀吉の朝鮮出兵に駆り出される際に祈願したという故事からきています。

文籍によれば
「豊太閤征韓の役、文禄元年(1592)留守政景、藩祖正宗に従い従軍す。その際、京都の僧智学をして護身のために崇信する八幡神像を護持し、凱旋するに及び高麗八幡宮として尊称し、後嗣宗利、寛永六年(1629)この地に宮を建て智学の後をして別当とし、智学院という。」

ついでにもう一ついうと、水沢には旧藩時代から町内の神社に十二支の神を充てて、それぞれを仮諦神を定めて町人に信仰参詣するように勧めていました。

で、ここ高麗八幡さんは戍亥八幡の仮諦神ということで、私も子供の頃は婆ちゃんに「こごさは毎年お参りしろ」と聞かされていた場所です。

_DSC2198.jpg

で、微かな少年時代の記憶では神楽さんがもっと長い演目を上演したり、出店が沢山あったりして賑やかだった記憶があります。

今では祭りの場に神楽を招請することが少なくなりましたが、この日は近所の歯科医さんが神楽を呼んだということでした。
勧進元も必要ですね。 いろんな理解を得るための繋ぎ役も重要なのかも。


_DSC2201.jpg

動画でどうぞ


テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2018.09.23 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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